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 2011年3月11日に発生した東日本大震災の津波で被災した訪問介護事業所「やさしい手仙台」(仙台市)。そこは人々の支え合いが真価を発揮した現場でもあった。「支援にやってきてくれた人々は作業を通じて無言で励ましてくれました。それが支えになりました」と、大森博社長(当時取締役)は静かに語る。震災から9年を経て、改めて当時の状況を振り返り、大森社長は何を感じるのか、その想いを聞いた。

やさしい手仙台 大森博社長

 

 

 

 

あの日、津波から避難を

 

被災した訪問介護事業所のやさしい手宮城野店は仙台湾の海岸線から1キロメートルほど内陸に位置している。大森社長は東日本大震災の日そこから少し離れた飲食店で、遅めの昼食を終えて車に戻るところだった。午後2時46分。「車に乗ると揺れを感じ、おかしいなと思いました」。目の前の電柱が大きく揺れ、大地が震えていることを理解した。

 

 

揺れがおさまった後、大森社長はカーラジオで津波の襲来が迫っていることを知る。「運営するデイサービス、ゆめふる中野栄店の利用者を避難させるため、真っ先に向かいました」。
ゆめふる中野栄店は、仙台市が所有する7階建ての高齢者向け優良賃貸住宅の1階、事務所から500mほどの場所にある。大森社長は到着後、利用者10人を4階まで避難誘導。エレベーターは使えず、利用者を背負い1階から4階の踊り場まで階段を何往復もした。

 

 

そして津波が到来。黒く濁った海水が1階床下まで押し寄せてきた。これでは、利用者を帰宅させることもできない。大森社長は4階の入居者に、利用者を部屋に入れて欲しいと頼みこんだ。「『困ったときはお互い様』と利用者を受け入れてくれました」。そのうち、海水が引き始め、深夜には全員が帰宅できた。「入居者にはご迷惑をかけたと思います。文句を言わず受け入れてくださり、大変ありがたみを感じました」。

被災した事務所

 

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東京本部の動き

 

やさしい手の東京本部では、「宮城野店、被災」の知らせが届くと、すぐさま救援物資の輸送準備が始まった。

 

 

物資は陸路で仙台へと搬送する計画となった。食糧・燃料などを買い付け、それらを満載した第一陣のトラックが震災2日目に東京を発った。そのトラックには、当時、本部フランチャイズ事業部で東北地方を担当していた大西明美氏(現:内部監査室)が乗り込んだ。

 

大西氏は青森県でトラックドライバーをしている弟にも声をかけ、物資運搬の協力を仰いだという。「自分から志願して現地に入りました。現場で必要な物資は状況に応じて変化したので、常に東京本部に報告しました」。その後、本部からの応援職員は1週間ごとに交代し、3ヵ月間にわたり現地の支援を継続した。

 

 

中野栄店に運びこまれた物資は、地域住民にも提供。水道復旧後には入浴車が到着した。これによりデイの風呂が使用可能になり、利用者だけでなく、地元の人々も風呂に受け入れた。
大森社長は、現地入りした職員が作業する姿が、鮮明に記憶に残っているという。「寒い中、黙々と作業をする姿に心打たれました。それが『ひしゃげたままじゃいかん』と私を勇気づけてくれました」。

 

津波はドアノブの高さまで押し寄せて来たという

 

営業再開に向けて始動

 

宮城野店の施設は津波によって大きな損害を被った。事務所機能は一時的に近隣の中野栄店へ移し、仮事務所を定めた後、関係者の安否確認を開始。中野栄店にはスタッフが続々と集まって来たが、ヘルパー2人の安否確認ができなかった。その後、1人は利用者宅で利用者の介助中に被災したが無事救助。

 

残念ながら、もう1人は津波に襲われ、2度と戻ることはなかった。利用者500人の安否は、スタッフが自転車・徒歩で確認。全員の安否確認には3月末まで時間を要した。

 

 

事業に必要なデータは東京のデータセンターにバックアップしており短期間で事業態勢を復旧。震災後1週目には、応援派遣されたスタッフが現地の特別養護老人ホームなどを回り、介護サービスの提供を再開。こうした努力もあり、宮城野店の売上は6月時点で、震災前の月600万円を上回る、月700万円を達成。入浴サービスを受け入れた中野栄店も同月の売上は、震災前の2月の4倍以上となった。

 

震災から数ヵ月後、ヘルパーたちから「震災のときの想いを打ち明ける機会が欲しい」という声が出た。そこで、各事業所が懇談会を開き、スタッフがそれぞれの想いを吐露した。「ようやく一息着けるようになったこのタイミングで、寂しさなど色々な感情がこみあげてきたのだと思います」と大森社長。

 

震災前の日常に戻る取組みとして、7月には「Z1グランプリ」を仙台独自に実施。新規利用者の獲得数など4項目を競うもので、1位の店舗には賞金も出した。こうした前向きな取組みが震災前を超える好調な売り上げへとつながっていった。

 

 

 

今、体験を基に体制づくり

 

震災から9年。当時と比較し、被災経験を教訓に強化したのが連絡体制だ。現在は、やさしい手全店で使用されているウェブサービス「もばイルカ」に情報が集約され、災害時でもこのサービスを通じて迅速に連絡を取り合えるようになった。

 

東京本部と各地のスタッフをつなぐメーリングリストも整備され、全国への素早い情報発信も可能となった。仙台エリア独自の取組みとしては、従来スタッフ本人の連絡先のみだった登録を、親族なども登録しておくことで万一本人につながらない場合の体制を整えた。

 

 

震災時の地元への貢献もあり、やさしい手仙台は現在まで順調に利用者数を拡大している。9年が経ち、震災が話題に上る機会は減ってきた。しかし、大森社長にもほかのスタッフにも、あの出来事は未だ過去のものではない。「外の人から見ると『風化』などに映るかもしれません。話題に上らないのは、語るのを避けているだけです。私たちも仲間だった1人のヘルパーを失っています。忘れられません」と心の内を明かす。

 

 

現在の大森社長の抱負は「あのときに受けた恩を、仕事を通じてまた別の誰かに返す」。「恩送りという言葉があり、それを題材にした映画『Pay It Forward』もあります。それを心に誓い、日々の仕事に取り組んでいます」(大森社長)。

 

 

 

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