介護保険制度創設から20年目。新たな社会保障基盤として「社会全体で介護の必要な高齢者を支えていく」という理念の下で導入され、その必要性は年々重みを増す。
だが、高齢者の急増に給付と負担の均衡が課題に浮上。制度の持続可能性を含めた議論と改革が求められている。今回は、学者であり、母親の介護経験を通じて「介護の社会化」を訴え、さらに厚生労働大臣、東京都知事として介護行政に携わった舛添要一氏に「20年」の意義と課題を聞く。

舛添 要一氏

 

 

 

介護体験で課題提起

 

――介護保険制度がスタートして20年、制度導入の意義をどう考えますか。

舛添 1997年、橋本龍太郎総理の時に介護保険法が成立し、2000年に制度がスタートした。導入前には色々な議論や批判があったが、龍太郎氏も父の龍伍氏も厚生大臣という家柄で龍太郎氏自身、介護保険制度への思いは強かった。

 

橋本家は私の遠縁にあたるので、私は政治家になる前から厚生行政について龍太郎氏とよく話をしていたのだが、亡くなられる直前、05年にお会いした時に龍太郎氏は「介護保険をつくっておいて本当に良かった。ここまでうまくいくとは思わなかった」と感慨深げに語られた。創設から5年目のことだ。あれから時を経て10年目、20年目と進んできたわけだが、「つくっておいてよかった」という龍太郎氏の言葉は、年々重みを増している。

 

日本の社会保障だけでなく社会構造を支えている重要な制度だ。今も問題として残っているが、家族介護による「介護離職」などももし介護保険がなければもっとひどい状況に陥っていただろう。

 

 

 

――舛添氏にとって2000年は奇しくも介護を続けられたお母様が亡くなった年です。

舛添 95年から東京と北九州を行き来して遠距離介護を続けてきた。母は認知症だったが、私と妻は在宅介護を選び、ほぼ毎週、北九州市の母のもとを訪れた。それから5年、姉たちの協力もあって看取りまで行った。私自身の体験では、肉体的負担よりも長姉との争いなど精神的負担が非常に重く苦しかった。しばしば「介護地獄」などとも言われるが、当事者として決して大げさな表現ではないと言いたい。

 

介護保険がある現在は、ケアマネジャーからPTやOT、訪問介護員など様々な専門家が支援してくれる。当時の私は老健と特養の区別も知らず、ゼロから介護を自分自身で学び、今ならケアマネジャーが行うケアプランの作成などもやってみた。

 

舛添氏の「訴え」が介護の社会化の一助になった

 

 

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――介護体験を赤裸々に発信して「介護の社会化」という課題を提起したことで、介護保険制度の後押しになったとの指摘もあります。

舛添 97年11月に「婦人公論」に初めて母の介護に関する文章を書いた。介護がまだ「家庭の問題」とされ、「子供が親の介護をするのは日本の美風」と放言する政治家もいた時代で、当時は「介護の問題に社会全体で取り組んで欲しい」という一心だった。

 

反響は大きく「私も同じ悩みを抱えている」といった手紙を何通も頂いた。介護保険の制度化の意義の1つとして、「介護は社会全体で行うもの」という理念や「介護はプロに、家族は愛情で」というスローガンが多くの人に伝わったということは大きかったと思う。認知症も、社会や政治が真正面から受け止めはじめた契機になった。

 

介護は社会的ケアが必要だが、それぞれの家庭の状況は違う。保険者は地方自治体だが、原則として全国一律の保険料で一律の介護サービスが受けられる仕組みは、経済的にも介護家族の救いになったはずだ。極論すれば、介護保険導入前に月40万円が必要だった介護サービスが保険適用後は1割負担、4万円で済むというのは画期的な変化だった。

 

 

 

――07年からの厚労大臣時代、介護保険制度の持続可能性が課題に浮上しました。

舛添 私が厚労大臣の時に議論しようとしたのが、ドイツやオランダのように介護保険と健康保険の負担年齢を揃える、つまり被保険者の年齢を区別しないなどの見直しだ。長期的には介護保険制度を支える裾野を広げない限り、財政基盤の安定化や拡大は難しい。

 

 

その流れで言えば、健康保険と介護保険の一本化も検討の余地がある。介護や高齢者医療の現場を知っていればすぐに分かることだが、介護と医療の片方だけが必要、という高齢者はほぼいない。一本化は、医療と介護の現場の連携を進める上での効率化にもつながる。ただ、私の厚労大臣時代は、年金記録問題や新型インフルエンザ対策、薬害肝炎問題など喫緊の課題があまりに多く、介護保険制度に関する大きな議論につなげられなかったのは少し残念だ。

 

 

 

 

――介護人材の不足もこの頃から顕著になってきました。

舛添 08年の介護報酬改定はプラス3.0%とし、介護職の賃金を上げるためのファンド(基金)も立ち上げた。キャリアパスや段位制度も試験的に導入し、一定の成果を上げたが、その後も介護人材不足は続き慢性化している。近年は外国人介護人材の活用が注目されているが、私個人、まず介護ロボットやAIの活用といった介護の世界のイノベーションに力を入れるべきだと考える。日本人、外国人を問わず現場業務が効率化しないと人は集まらない。

 

 

介護の心理的側面で、やはり対人サービスが中心だということが大事だ。ロボットやAIの導入推進は、介護を任せるためではなく、介護現場で働く人を増やし、仕事を進めやすい環境づくりを支援することが目的であるべきだと思う。

 

 

 

 

――東京都知事時代、サ高住などの現場視察を行い、「福祉先進都市・東京の実現に向けた地域包括ケアシステムの在り方検討会議」などを設けました。

舛添 地域包括ケアシステムはまさに「地域社会が高齢者を支える」という考えで、かつ医療と介護に関わる良いコンセプトだと注目している。道半ばになってしまったが、「東京が変われば日本が変わる」という思いは変わらない。具体的にこれからどうやって地域包括ケアシステムが構築されるか、今も注目している。

東京都知事時代、地域包括ケアシステム構築に取り組んだ2015 年

 

 

 

――介護保険制度の将来を、どう見ていますか。

舛添 社会全体のバランスを考えることが社会保障政策の基本。介護保険も社会全体のバランスの中で検証していくことが必要だ。もちろん制度の濫用は許されないし、問題点は改善していかなくてはいけないが、制度の恩恵や持続することの重要性も改めて認識する時だ。介護保険費は年々上昇しているが、保険制度があるから、基本的に1割負担で様々な介護サービスを選べる。介護保険が経済的なゆとり、さらには精神的なゆとりにつながる人たちもいる。

 

 

その一方、社会保障費が高齢者に偏っているのも確かで、世代間の不公平感も生じており、その意味で全世代型社会保障検討会議の議論も理解できる。日本は「中福祉・中負担」を求める声が根強いゆえに、大きな改革は難しいかもしれないが、介護保険の将来像をしっかり描くことは日本の社会保障制度そのものを考えることになる。

(聞き手=編集部 河井貴之、齊木卓也)

 

 

舛添 要一氏

 

 

舛添要一氏
1948 年福岡県生まれ。71 年東京大学法学部政治学科卒業、同学科助手。パリ大学現代国際関係史研究所客員研究員、ジュネーブ高等国際政治研究所客員研究員などを経て東京大学教養学部助教授。2001 年、参議院議員選挙に当選。2007年〜2009年まで厚生労働大臣。2014 年東京都知事に選出。著書に『母に襁褓をあてるとき―介護 闘いの日々』『母と子は必ず、わかり合える 遠距離介護5年間の真実』『舛添メモ 厚労官僚との闘い752 日』『東京を変える、日本が変わる』など多数。YouTube「舛添要一 世界と日本を語る」などで情報発信中。

 

 

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