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社会的コンセンサス形成を

地域経済が徐々に「解放」に向かう一方、病院や介護施設での緊張感は続いている。院内感染が「気の緩み」とされるこの国で、医療介護専門職は、どこまでの感染予防策を続ければいいのだろうか。舛添元厚労大臣のツイートが示すように、感染リスクは努力すればゼロにできると思っている人は少なくない。(図中:破線で示した直線のイメージ)

 

 

 

しかし、実際には感染リスクはどんなに努力をしてもゼロにはならない。もちろん努力をすればゼロに近づくが、その努力とリスク軽減は比例しない。一定のところまでは比較的容易に到達するものの、ゼロに近づけば近づくほど、より大きな努力を求められる。

 

 

「感染予防の努力」とは、すなわち「生活の制限」だ。人は無菌室の中で孤立して生きていくことはできない。人と人とのつながりの中に居場所と役割、そして生きがいをもって生きている。感染リスクを軽減することは、目的ではなく、私たちが安心して「暮らす」ための手段の1つに過ぎないはずだ。感染予防のために生活が失われたら本末転倒である。

 

 

厚生労働省は15日、新型コロナウイルス対策のため介護施設で家族らの面会を制限していた方針に関し、面会制限による施設入居者の認知症の進行を懸念する現場の声を受け、感染防止策を徹底するなどの条件付きで緩和することを都道府県や介護関係団体に通知した。

 

しかし、実際に制限の程度を判断するのは各施設だ。リスクゼロを求める社会の圧力に押され、面会の再開に二の足を踏む施設が多いのではないだろうか。
そして、忘れてはならないのが、医療介護の専門職の日常生活にかかる制限だ。職員の外食や県境を超える移動を禁止している事業所もある。しかし、医療職も介護職も、専門家である以前に、一人の生活者だ。ともに暮らす家族もいる。

 

 

感染してもすぐに症状が出ない。そして症状が出る前に他の人に感染させてしまう。検査の感度も100%ではない。新型コロナのこのような特性を考えれば、100%感染制御が不可能なことはだれでもわかるはずだ。どんなに気を付けていても、コロナに感染するリスクはゼロにはならない。もし責任があるとすれば、それはその人だけではなく、その人にコロナを運んだ全員にあるはずだ。

 

 

政府予算でみんなが自由に旅することを推奨され、飲食店は深夜の酒類提供を解禁されているのに、医療介護専門職はいつまでも「感染予防=自己責任」という殻の中に閉じ込められたまま。このままではそう遠くない未来に、現場のモチベーションやモラルが崩壊する。

 

 

新型コロナに対して、どこまでのリスク軽減の努力が合理的なのか。どこまでが「起こっても仕方ない」と思える範囲なのか。そろそろ社会的なコンセンサスを形成すべき時期ではないのだろうか。政府やメディアには、国民的議論をリードする義務があるはずだ。

 

 

佐々木淳 氏
医療法人社団悠翔会(東京都港区) 理事長、診療部長
1998年、筑波大学医学専門学群卒業。
三井記念病院に内科医として勤務。退職後の2006年8月、MRCビルクリニックを開設した。2008年に「悠翔会」に名称を変更し、現在に至る。

 

 

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