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東京都世田谷区が「認知症とともに生きる希望条例」を10月1日に施行した。全国の自治体では10番目となる認知症条例である。神戸市や愛知県など関西・中京地区だけだったが、東日本では初めて。

 

 

10月25日に条例制定記念シンポジウムを開き、条例作りに関わった識者や認知症当事者が登壇した。冒頭で保坂展人区長が条例の内容を「認知症の本人の視点を重視した」と説明。
検討委員会やワークショップでも認知症の本人たちが参画したという。「私たちのことを私たち抜きには決めないで」という国際的に有名な認知症支援団体の言葉を挙げて強調した。さすが世田谷区。

 

そこで、条例文を読む。すると、「おや」と首を傾げる文面が目に入る。第4条に「区は、認知症施策の実施にあたり、常に本人の視点に立ち、本人及びその家族の意見を聴かねばならない」とある。第13条では「区は本人及び家族等からの相談…」、第15条でも「本人及び家族等が地域での活動に参加しやすく…」と、「本人」と「家族」が並んでいる。「本人及び家族」の記述は全部で10か所も出てくる。

 

 

 

家族が本人と同じ立場で登場する。これで、本人重視といえるのだろうか。家族が顔を出すと認知症本人の代弁者となりがちだ。家族の「横やり」はさんざん指摘されてきた。「診察室で医師が、同行した傍らの息子にだけ話しかける」「ケアマネジャーさんも家族から私の生活を聞き取る」と本人たちからの苦情は多い。

 

家族は善意の塊だから許されるようだが、果たしていつもそうだろうか。入居している親を前に、家族が施設職員に「怪我されるより縛った方がいい」と要望し拘束が始まることも。「危ないから外出を止めて」と家族からきつく言われると、折角の地域交流の機会が失われてしまう。

 

 

成年後見制度で家族が認知症の親の後見人になることの「危うさ」を指摘し続けるのは堀田力さんだ。さわやか福祉財団の創設者として、成年後見制の重要性を訴えているが、いずれ親の遺産の相続人となる家族は「利益相反の状態になることもある」というわけだ。「本人のためより、自分の収入第一」という悪魔のささやきに抗しきれないことを指す。

 

◇  ◇  ◇

 

認知症の人は障害者でもある。国の障害者基本法では、その第6条に「家庭では自立促進に努めよ」とあるだけで、「行政は家族の意見を聞く」というくだりはない。例えば第4条で「障害者の福祉を増進し…」とあるように、障害者を家族と並記していない。

 

 

障害者だけに的を絞り、障害者を「主語」として叙述する。障害者基本法は国連の障害者権利条約を受け入れて改正された。当の「社会的弱者」を主役に据えるのが社会保障での国際的な流れである。
障害者施設の地域移行が進まない要因として「家族の壁」がよく言われる。大型施設での、日常生活からかけ離れた集団管理の弊害から脱却するため、知的障害者のグループホームへの移行が唱えられる。

 

だが、そこに立ちはだかるのが親たちの反対論だ。「大きな施設であれば職員も多く安心」という思い込みの故である。「本人のため」と言いながら、実は「親の安心」が勝ってしまう。

 

 

乳幼児の虐待事件が止まらないことも、家族責任に頼りすぎる結果だろう。家庭内のもめごと、民事不介入、親権行使などの壁がここでもある。「介護の社会化」は介護保険の目的だが、「育児の社会化」への議論は一向に進まない。

「赤ちゃんは家族のものでもあり、そうでもない」とはデンマークでの常識だ。子どもは社会が育て、社会の一員という考えが浸透している。家族の限界をわきまえているからだろう。
各地の認知症条例のなかで、「本人本位」を掲げて「脱家族」を鮮明に打ち出したのは和歌山県御坊市の「認知症の人とともに築く総活躍のまち条例」である。

「家族が代弁すると、本人の意志でないこともある」と言う認知症の人の意見を取り入れ、「家族」の言葉は一つもない。国が昨年策定した認知症施策大綱にも「家族」は出ており、御坊市の先駆性は群を抜いている。

 

 

浅川 澄一 氏
ジャーナリスト 元日本経済新聞編集委員

1971年、慶応義塾大学経済学部卒業後に、日本経済新聞社に入社。流通企業、サービス産業、ファッションビジネスなどを担当。1987年11月に「日経トレンディ」を創刊、初代編集長。1998年から編集委員。主な著書に「あなたが始めるケア付き住宅―新制度を活用したニュー介護ビジネス」(雲母書房)、「これこそ欲しい介護サービス」(日本経済新聞社)などがある。

 

 

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