しあわせの収支決算

国民の4人に1人が後期高齢者になるという2025年を目前に控え、〝健康ブーム〞がますます盛り上がりを見せている。
だが、「健康」とは単に「無病長寿」を意味するだけのものではなく、自分の生き方を考えることでもあるはず。茨城大学教育学部で健康に関する思想史や文化論を専門とする瀧澤利行教授に、自身の人生訓も含め、考え方のヒントをいただいた。

 

茨城大学教育学部 医学博士・教育学博士 瀧澤利氏

 

 

―――最近、医療や健康関連のテレビ番組をよく目にします。メディアが「健康至上主義」を煽っているような印象も受けるのですが。

「〝神の手〞によってここまで回復!」「○○日で××キロ減量!」などと言われると、見る側も「凄い」「自分もできるかもしれない」と思ったりするわけで、医療が劇場型、ある種のエンターテインメントになっているんでしょうね。
メディアが取り上げる健康や医療に関するさまざまな情報が消費に結びついていく、そのポテンシャルにも注目が集まっているのかもしれません。

 

 

健康を目指すことそれ自体は良いことだと思いますよ。何に価値を置くかというのは人それぞれの自由ですから。あまりにも健康の重要性を強調する社会が問題となるのは、それが、健康になる努力をしたくてもできない人に対する無言の圧力となるのではないか、との懸念があるからだと思います。こうした、他者に強要するような「ヘルシズム」はよろしくないと。でも、健康を志向したい人たちが、自分の責任で自分のできる範囲で楽しく身体を鍛える分には、一向に構わないと思います。

 

 

「高齢化社会」と聞くと何かネガティブな印象を持ちがちですが、長く生きるということを、みんながある程度楽しめる社会になったということでもありますよね。ですから養生が自己目的化しても、それが楽しいのであれば、良いのではないでしょうか。ただ〝こうすべし〞という訓示が沢山あるので、それほど楽しいことではないですけれどね(笑)。

 

 

 

健康追求は無理なく

 

―――では、教授にとっての「健康」や「幸せ」とは何でしょう。

難しい質問ですが、僕は、健康って「結果」ではないかと思います。もちろん目指した目標を必ずしも達成できるわけではないし、計算違いもいろいろ起こるでしょうが、結果として、まぁそこそこ良い生活ができたのであれば、その人は「健康」だったと言えるのではないかと。

 

 

たとえ若くして亡くなったとしても、その人の〝収支決算〞として帳尻が合っていればそれは健康だし、合わなければ、どんなに周りから健康だと思われても実際は不健康であったかもしれない。健康って、生きているうちにはあまり実感できないものなのではないかと思うんです。

 

 

幸せについても同様ですね。赤字か黒字かという喩えは変ですけれども、生き方としておおよその採算が取れたかそうでないか、というところで、良い人生だったか、やはりもう一度生き直したいと思うような人生だったかが決まるのかもしれません。

 

そして、最終的に〝黒字決算〞で終わらせようとするならば、どこかで生き方のリソースをストックする必要があります。しかし、本来黒字を増やすタイミングは様々あるはずなのですが、格差社会といわれる現代では、昔のように、ある年齢から頑張って成果を上げて黒字で終わる、ということができにくくなっているとは思います。

 

 

僕らが子どもの頃は、原っぱで遊んだりしながら時間と空間を他者と共有する中で自然と身に付いてきたものが生きる糧となり、それが良き生というものにも結びついていったように思います。それを今は、限られた時間と空間の中で何か人工的なカリキュラムやマニュアルとして教えようとしている。そのこと自体に無理があるし、そもそも「学び方を学ぶ」なんて発想が間違いなんです。学びとは、後で、あぁそうだったのか、と分かるもので、教える側にできるのは、生の経験をできるだけ増やしてあげたり何かを考えさせたりすることでしかない。学び方など教えられるはずはないんです。

瀧澤教授は「教えてタッキー」と題する某フリーペーパーの子育て相談コラムでも活躍中

 

 

―――教育のプロならではの深いお言葉です。ご自身で〝黒字決算〞に向けて心がけたいことはありますか?

「歳をとったら雑務をやれ」です。かつての恩師が実践されていたことを、自分なりの言葉で心に留めています。ある程度の歳になると、自分が属する集団内での立場も上がり、表立った仕事を任されることも多くなりますよね。でも、そうやって神輿に乗せられた人間がいつまでも頑張っていると、若い世代が表に出る機会は減ってしまいます。やはり、若い人に一番美味しいところを経験してもらわないと、世の中は前に進みませんよね。

 

 

 

何もしないことのエネルギー

 

そうした意味でも、自分はいつ頃まで現役を続けるべきかな、と最近考えます。やはり人は自分のプライドや存在意義をどこかで確認したいので、元気であればいつまででも働いたほうがいい、といった観念はありますよね。でも、引退して潔く世の中との関係を断ち自分一人の世界に籠るということの、ある意味での積極性ってあるような気がするんです。隠居することのエネルギー、何かをしないことのエネルギーは、何かをするエネルギーよりも重いかもしれないと。

 

 

かつて松竹三羽烏の一人と謳われた佐分利信という俳優が、「人生は引き際だ」と言ったそうです。古来、名将は退却が見事である者だとも言われていますし、人生に限らず、すべて退き方が重要だと思います。ただ、自分がいざそうできるかという保証が全くないどころか、できない可能性が高いので(笑)、敢えてこうして言葉にしているのかもしれませんね。

健康維持のためのジョギングはコロナ禍でも人気

 

(聞き手・文 八木純子)

 

 

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