全身の運動神経が侵されることで筋肉が萎縮し、次第に手足を動かす、食べる、話す、呼吸する、といった動きができなくなる進行性の難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)。
10万人に1人から2人の割合で発症し、国内に約9100人の患者がいると言われる。自身がこの病を患うNPO法人境を越えて(東京都江東区)代表の岡部宏生さんは、難病や障害を持つ人たちがより生きやすい社会を作るために奮闘を続けている。

特定非営利活動法人「境を越えて」理事長 一般社団法人日本難病・疾病団体協議会 理事 岡部宏生さん
―――岡部さんが「境を越えて」の活動を始めた経緯について教えてください。
私は2006年の春にALSを発症し、翌年から在宅療養を開始しました。しかしそこで、生きていくために必要な介護者と社会資源の確保がいかに難しいかを思い知らされました。
そもそも受けてくれる介護事業所が見つからない。さらに、ALSの場合は医療保険と介護保険に加え、障害者を対象とした重度訪問介護も利用できますが、支給時間数は自治体によって異なり、私の住む自治体では月に最大280時間の前例しかないとのこと。単身独居が可能になる目安の550時間を大幅に下回っていました。
基本的人権に関わるサービスに地域間の格差が生じていることに違和感をおぼえるとともに、生きようとすることと生きていけることとは別なのだと知り、愕然としました。
介護者も資源も足りず
こうして自分の介護体制を整えるための日々が始まったのですが、日本ALS協会の役員としての活動などを通して難病当事者の療養生活を支える制度作りに関わる中で、制度を整えても介護者不足は解消しないことに気づきました。
体感として、いま社会資源を駆使して24時間の介護を受けられるのは、ALS患者ならば全国でせいぜい2〜4%くらいだと思います。人工呼吸器の装着を選択する患者は全体の3割しかおらず、多くの人が、社会資源も介護者も不足する中で、家族に介護負担をかけられないと言って亡くなっていくのです。
こうした現状を何とかしたい、難病患者や重度障害者の介護者不足を少しでも改善したいという強い願いから「境を越えて」を立ち上げ、2019年4月にNPO法人化しました。

岡部さんの目の動きを文字盤で拾い、意思を読み取る
―――活動理念についてお聞かせください。
2つの柱があります。1つは、重度身体障害者とその生活を支える介護者について広く社会に発信し、知ってもらうこと。もう1つは、重度障害者に対する難しいケアを行うことのできる介護者を少しでも育成することです。併せて、当事者やこうした活動を理解し力を貸してくださる方たちのネットワークを構築したいと思っています。
学生の育成にも取り組んでいます。ヘルパーやコーディネーター、事務局のスタッフたちと一緒に医療系や文系の大学を訪れ、介護のアルバイトを募集しています。現在5人の研修生が重度訪問介護従業者という資格を取得し、学生ヘルパーとして働いており、これまでに約50人の学生が卒業していきました。こうした活動を通して、少しでも社会に風を吹かせていきたいと思っています。
―――事業者として、ヘルパーを育成するうえで難しいのはどんなことですか?
最も難しいのは意思疎通です。特に、私とヘルパーの関係は、患者と介護士であると同時に上司と部下でもあるので、混乱が起こる場合もあります。コミュニケーションを含め、難しいケアを覚え教えるための互いの忍耐力が必要です。ケアができるかどうかはスキルだけの問題ではなく、心身ともに信頼できるようになるまで一緒に頑張れるかどうかということでもあるのです。
また、介護を任せるということは、私の命を預けることでもあります。でも、もし私が事故にあったら、たとえ法的な責任は問われなくても相手の心には傷が残ってしまいます。ですから私は、介護者に命を預けると同時に、相手の人生の一部も預かっているつもりです。そこまでの関係性を構築するというのは、とても大変なことです。
しかし一方で、介護に携わり、仕事を通して人と関わることで自分の中のさまざまな思いや感情に出会い、変わり、成長して一人立ちしていく学生たちの姿は何ものにも代えがたい。
本当に重たくて深い関係だからこそ、貴重なのです。
―――岡部さんを衝き動かすものは何でしょう?どうしたら、難病や障害を抱える人が直面する問題への理解は深まるのでしょうか。
まずは実態を知ってもらうことだと思います。あなたの隣に支援を必要とする障害者が700万人もいて、重度の障害者はサポートがなければ生きていくことすらできない、ということを知って欲しいです。知ってもらわなければ何も始まりません。
「愛の反対語は無関心」というやつです。私も健康なときは、まったく無関心でした。
自分以外の立場を理解するのは本当に難しい。でも、誰もが自分だけ幸せになれるはずがないことは自明です。だからこそ、どんな社会を目指すのかを一人ひとりが考えたい。
違うからこそ越えられる
ラグビーで「One for all,All for one(1人はみんなのために、みんなは1人のために)」と言いますね。
試合終了時には「ノーサイド」と。これは、みんなが同じだということではなく、違うからこそ、それぞれの立場を認めようという意味だと思います。境を〝なくそう〞ではなく〝越えよう〞という名前をつけたのも、こうした思いからです(2月3日号に続く)。
聞き手・文/八木純子