重度の障害を持つ人とその家族や介護者が直面している現状について情報発信し、生活の向上と専門的な介護人材の育成を目指す岡部宏生さん。全国を飛び回る多忙な日々を送る中、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う自身の生について、思いはさまざまに揺れ動く。だが、光と闇の間を行き来するその振り幅の大きさにこそ、意味など超えた〝生きること〞の本質があるのではないか。そんな気がした。
心はどこまでも自由に
――前編では介護事業者としての立場でお話しいただきました。患者である岡部さんは、病について、周囲との関係について、どのような思いをお持ちですか?
ALSには、身体症状に加え、こだわりや怒りの表出が強くなったり思いやりや気遣いができなくなったりする「情動制止困難」の症状が出ることがあります。私はもともと妬むとか疑う、嫌う、怒るといったネガティブな感情が少ない幸せな性格だと思っていましたが、発症後、いわゆる〝キレる〞という状態をはじめて経験し、自分が壊れていく恐怖を自覚しました。
ALSをはじめとする難病患者の多くがこうした問題を抱えており、家族や介護者との関係で悩んでいます。多くの人が、自分で何もできなくなってしまうくらいなら死んだほうがマシ、人に迷惑をかけてまで生きたくない、と思っているのです。人工呼吸器をつけてからも、愛する家族の疲れた顔を見て死にたくなる人もいます。
私自身も、これだけ介護者に恵まれ志を共にしてくれる仲間がいてさえ「こんなに頑張っているのにどうして病気が進行してしまうのだろう。どんなに頑張っても病気に勝てない」と思う時、「死んだ方が楽だな」と考えてしまいます。ALS患者の約1割が、眼球の筋肉すら動かせなくなる「完全閉じ込め状態(TLS‒Totally Locked-in State)」になるのですが、そうなることへの恐怖もあります。

スタッフとの食事風景の1コマ。岡部さんも同じものを胃ろうから
「生きたい」と「死にたい」の狭間で
――「生きたい気持ちと死にたい気持ちを繰り返しながら、日々を過ごしている」と以前書かれていました。
発症初期の頃、こうした状況の中で明るく生き生き暮らし、他の患者や家族のために活動している先輩患者たちの姿を見て、こんな人もいるのだ、と本当にビックリし、自分もそんな風に生きたいと思いました。でも、辛い時ややる気を失ってしまう時もあります。
そんな時、TLS患者の友人たちの写真を見るんです。まさに彼らが支えてくれているんですね。情報発信の手段がすべて失われてしまった友人たちのためにも、今できることをやろう、発信し続けよう、と思いを新たにするのです。
――「人に迷惑をかけてまで生きたくない」とよく耳にしますが、そもそも人は自分一人の力だけでは生きられません。「命は自分だけのものじゃない」と岡部さんも仰っていますね。
命には、生物として生存するという「生きる」と、人として「生きる」の2つがあると思います。1つ目は本能ですが、2つ目が難しく、「生きる意味って何だろう」というのは人にとって永遠のテーマです。私にとってこれは、やりたいことがあり、やれることがあることです。
でも忘れてはいけないのは1つ目の「生存」という命の価値で、これを自分の尺度で推し量ってはいけないということです。人間以外の生物はひたすら生きるだけなのに、人はその意味を考えずには生きられません。でも、〝生きる意味〞などいろいろであって、「生きているだけでいい」ことが認められなければ、生命の否定につながってしまいます。そしてそれこそが、差別を生むのだと思います。人は生きているだけではいけないのでしょうか。〝役に立たない〞生物はいらないのでしょうか。

事業所運営に加え各地での講演やイベントに出かけるなど大忙し
ひとの尊厳はそれぞれ
「簡単に、『生きようよ』なんて思ってないよ。でも生きようよ」と言いたいです。どんな人でもその人なりの尊厳を自分の中に保っているのだと。「◯◯になったら尊厳を失う」などと思うのは自分の解釈に過ぎないことで、人の尊厳はそれぞれです。人間は文明を手に入れて自然本来の姿を失いつつありますが、現代の一瞬の価値観なんてものに縛られずに生きてみようよ、自分と他者が持つ多面性やさまざまな価値観について考えられるようになろうよ、と言いたい。
「意志あるところに道はある(Where there's a will,there's a way)」という言葉が好きで、若い頃から手帳の中表紙に書いていました。ALSになって、こんな言葉はまったく通用しないと一時は思いましたが、できることもたくさん増えた今、やっぱりこの言葉に戻りました。これでも結構頑張り屋だったんですよ、今は寝たきりでサボってるけど。菅総理の座右の銘と知りショックです。言いにくくなってしまいました。
――今はサボってるんですね(笑)。岡部さんにとって、「幸せ」とは何でしょう?
心が動くことです。キザな言い方かもしれないけれど、本当にそう思います。
ALS患者について「身体の自由は奪われても心は奪えない」とよく言われます。でも、本当にそうでしょうか。この病気は、もしかしたら皆さんが認識しているより遙かに過酷なものかもしれません。どうしてこんな病気があるのでしょう?
だからこそ、難病や重度の障害者について、皆さんにもっともっと知ってもらいたいと強く願っています。そして、患者仲間にはこう言いたい。「自分の症状について知ってこそ、ALSに心を奪われないのだ」と。
――いま、岡部さんの心は動いていますか?
毎日激しく動いています。たまには休みたいと思うほどに。
聞き手・文/八木純子
特定非営利活動法人「境を越えて」理事長
一般社団法人日本難病・疾病団体協議会理事
岡部宏生さん