生命のダイナミクスとパラドクス
「ウイルス」や「変異株」という言葉が日常のものとなった。でも、私たちはウイルスというものをどれだけ理解できているだろう?植物や糸状菌(カビ)のウイルスなどを専門に研究する科学者である中屋敷均先生の話から、単なる感染症の病原体という枠を超えたウイルスの実態と、生命体の驚くべきメカニズムが見えてきた。

神戸大学大学院農学研究科 教授 細胞機能構造学 中屋敷 均先生

 

 

――そもそもウイルスとはどういう性質のものなのでしょう?
例外もありますが、教科書的な定義では、一般にウイルスは核酸(DNAまたはRNA)とタンパク質でできた構造体で、「自分の遺伝子とそれを取り囲むタンパク質の粒子を持つもの」とされています。

 

 

生体が持つ個々の細胞が家で、そこに住む人がDNAだとするならば、一般にウイルス感染の仕組みというのは、ウイルスが家に押し入って、勝手に冷蔵庫を開けてものを食べたり洗濯機や掃除機を使ったりしてしまうようなものです。
エイズや白血病などを引き起こすレトロウイルスのようなタイプに至っては、それこそ家に侵入するだけでなく、あたかも住人に取り憑くようにしてその身体の一部に組み込まれ、遺伝子化することもあります。

 

 

 

宿主と共生するウイルス
ウイルスが遺伝子化して役立つようになった一番有名な例が胎盤内の「合胞体性栄養膜」で、これが母親の血液中に含まれる免疫細胞などの攻撃から赤ちゃんを守る役割をしています。
このように、通常は病気の原因とされるウイルス感染が、実は宿主にメリットを与えている事象も多いんですよ。

 

 

 

――近頃は、新型コロナウイルスの変異株も次々に発見されています。
変異ウイルスは大変だ、という感じで報道されていますが、実際ウイルスというのは日常的に変異しているんですよ。ただ、変異型が元の親よりも感染力や病原力が強いという〝優れた〞性質を持ち、人間にとって脅威となるケースは極めてレアではあるものの、こうした〝優れた〞変異は一旦できるとウイルス同士の競争で有利に働くので、あっという間に広がって問題となります。

 

 

 

――先生は『生命のからくり』で、「『生きている』ということを安易に『人間の生死』のイメージと結びつけてしまう」のは人間の錯覚だと仰っていますが、生命が「生きている」ってズバリどういうことなのでしょう?
生命の持つ情報には、DNAからなる「DNA情報」と脳を土台とした言語や文字による「脳情報」の2つがあって、「生きている」ことを考える際は、まずこの2つを区別する必要があります。
私たちが「生きている」と言うときには、やはり脳情報からなる存在、「自我」が生きているかがとても大事になりますが、細菌やバクテリアみたいな微生物やウイルスはDNA情報しか持ちません。従って彼らにとって「生きている」こととは、「DNA情報を子孫に伝えつつ、そこに変異を加えて進化すること」に集約されます。

 

 

生命現象としての「生きる」とは、「継続して発展・展開していくこと」だと私は思いますが、ヒトや一部の高等動物の場合は、DNA情報をベースとした「生きる」の上に、脳情報としての「生きる」が乗っかっているような状態で、そこが少し話を複雑にしています。もちろん心と身体の喜びが一体化する瞬間というのはあると思いますし、詩的な表現として「身体の全細胞が喜んでいる」などと言ったりしますが、基本的にそれは形而上の〝喜び〞だと思いますね。

 

 

 

「自分」とは何か
――DNA情報としての「自分」と自我の意識を持つ「自分」の両方を私たちは持っているということですね?
心と身体をそんなに簡単に分けることはできませんので、両者が不可分なところはあると思います。たとえば腸内細菌が精神状態を左右するという話があるんですよ。おとなしいマウスに攻撃的なマウスの腸内細菌を移すと凶暴化するんです。まぁ!って感じでしょ?(笑)

 

 

腸内細菌が精神を安定させる脳内ホルモンの前駆体を作り、それを介して我々の精神に影響を与えているとも言われており、腸内細菌の塊である便の一部を他の人に移植して、うつ病などを治そうという「便移植」の試みも始まっています。

 

 

我々の人格は、このように様々なDNA情報に基づくホルモンのバランスなどに左右されていきますから、脳情報とDNA情報とは不可分で、概念的には二層でも、両者のインタラクションがあってヒトは「個体」として存在しています。

 

 

しかし、この「個体」の概念が、脳情報を持たない生物の場合は明らかに変わります。たとえばヒトは、DNA情報が同じ一卵性双生児であっても脳情報の違いで別の人格、別の個体となりますが、バクテリアなんかだと、細胞が分裂して物理的には2つに分かれても、DNA情報に差がなければ、別の個体として認識するのは難しいんです。

 

 

植物なども同様で、葉っぱを切って土に植えるとそこから新たな根っこが生えてきますよね。部分から新しい個体ができるような生き物には、常に「個体=自分とは何なのか」という問題がつきまとうんです。でもそれが一般的で、異なる脳情報によってアイデンティティーが区別されるヒトなどの方が、生物としては特殊なんですよ。(後編に続く)

聞き手・文/八木純子

中屋敷先生の著書。いずれも科学や社会事象に叙情あふれる筆致で切り込んだ 「考えさせられる」名著

 

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