――第28回 「音楽マンション」が求められる理由――
緊急事態宣言発令で、多くの業者から「4月25日から休業します」という知らせが次々届く。最も気候の良い季節に制限のある生活を強いられる一方で、社会のシステムが着々と変貌を遂げつつある。
現在放映中のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公である渋沢栄一は、王子製紙の創立に関わったことから、現在の北区、飛鳥山に別荘を建て、そこへ当時の海外の要人を招いて民間外交などを展開していたという。王子製紙の工場では、大きくて重い印刷機械を使うため、建設の基礎づくりにはコンクリートが必要だった。
そこで、当時は先端技術だったコンクリートを手がけていた地元の建設会社が工場建設に携わった。明治時代から自慢のコンクリートを扱ってきたこの会社が、現代のニーズに応えるべく手がけているのは、防音、遮音を高めた室内で、音楽を自由に楽しめる「音楽マンション」である。その第1号は建設会社の地元である北区。
音楽学校もないこのエリアでどれほどの需要があるのかといささか疑問だったが、なんと、入居者の8割が社会人で音楽を趣味とする音楽愛好家が占め、すぐに満室になったという。親父バンドや、今人気の「駅・空港ピアノ」を目指す人など様々のようだが、この10年間に建てた「音楽マンション」は、現在、都内で45棟に及ぶ。音楽を生業にしている人ではなく、コロナ禍で、通勤や残業に使っていた時間を趣味に費やせるようになった人の新たな需要が生まれている。
さらに注目するのは会員制の「音楽マンションクラブ」。現代では、隣人がお互いの関心がないなか、音楽という共通の切り口から緩やかなコミュニティを生む試みだ。
そのお手本となったのは、1999年にフランスで生まれた「隣人祭り」だという。現代社会の無関心を克服しようと、パリ市17区議会議員のアタナーズ・ペリファンが、「パリのど真ん中で起きた完全な孤独死」をきっかけに立ち上げた「隣人祭り」は、2003年にはフランス国内はもちろんのこと、ヨーロッパの都市で280万人が参加するイベントへと成長していった。
ヨーロッパでは主に集合住宅で開催されているが、当時アパートの壁の向こう側に隠された苦悩に、ペリファン氏は心を掻き立てられた。何か行動を起こせば、みんなで動けば何かが始まるのではないかというその直感はみごと社会に変化をもたらし、2005年にはEU全体で100都市へと広がった。社会学者のロベール・ロシュフォールは、彼の直感を次のように解釈したという。
「人は行き過ぎた個人主義に気づき始め、(中略)新たな社会との接点を模索しようとしている。カーニバルとかフェスタといった人が集まることが歓迎されているのは、そんな欲求の表れでもある」(「隣人祭り」ソトコト新書2008)。
そういう観点から、「音楽マンションクラブ」は、オンラインサロン「Clubhouse」に人々が集まるように、自分の趣味嗜好に合う者同士、それぞれが発信し合えるフラットなコミュニティ、緩やかに繋がる隣人関係が心地よいのだろう。以前ご紹介した、イタリア・ミラノにある高齢者住宅「カーサ・ヴェルディ」も、〝音楽家のための憩いの家〞として、音楽に関わりのある人で年金の8割を払えば貧富に関係なく入居が叶う。コミュニティのあり方が変わる今、日本の住宅ニーズも、転換期を迎えている。
小川陽子氏
日本医学ジャーナリスト協会 前副会長。国際医療福祉大学大学院医療福祉経営専攻医療福祉ジャーナリズム修士課程修了。同大学院水巻研究室にて医療ツーリズムの国内・外の動向を調査・取材にあたる。2002年、東京から熱海市へ移住。FM熱海湯河原「熱海市長本音トーク」番組などのパーソナリティ、番組審議員、熱海市長直轄観光戦略室委員、熱海市総合政策推進室アドバイザーを務め、熱海メディカルリゾート構想の提案。その後、湖山医療福祉グループ企画広報顧問、医療ジャーナリスト、医療映画エセイストとして活動。2019年より読売新聞の医療・介護・健康情報サイト「yomiDr.」で映画コラムの連載がスタート。主な著書・編著:『病院のブランド力』「医療新生」など。