――第29回 岡本太郎氏の作品が伝えるもの――

 

対極にある存在が共生してこそ真の調和

 

風光る皐月、外出制限のある中、気持ちが萎えないよう毎日のウォーキングは欠かせない。風を感じながら、趣くまま青山・骨董通りを歩いていると、ふと、一本裏手の通りへと引き込まれる。導かれるまま先へ進むと、そこは岡本太郎氏の旧自邸。太郎氏は、両親とともに幼少期を過ごしたこの地に、1954年、住居兼アトリエを建て42年間暮らしていた。

 

岡本太郎記念館

 

 

設計は太郎氏のパリ時代の盟友、パリ万国博覧会で日本館を手がけた板倉準三氏。現在は「岡本太郎記念館」として、生前の痕跡がヴィヴィッドなアトリエやサロンを常時公開している。庭には、生い茂る雑草や、バショウ、シュロ、フェイジョアにカヤの大木。この植物たちと無造作に溶け合っているのが、太郎氏の意力が宿った彫刻達。太郎氏の溢れるエネルギーと息づかいを感じられる、ファンにとっての聖地なのだ。わたくしも時折訪れては、庭を臨むカフェでパンケーキをほおばりながら、太郎氏のパッションに触れている。

 

 

太郎氏の作品に初めて出会ったのは、1970年の日本万国博覧会(以下、大阪万博)。明治時代から何度か検討されてきた万博は、1940年には戦争の激化によりやむ無く開催中止。度々機会を逃してきた日本にとって、大阪万博は悲願達成ともいえる国家の祭典だった。

 

 

基本計画原案は、京都大学の西山夘三を中心とするグループと、東京大学の丹下健三を中心とするグループが時期を分けて担当した。丹下氏は、シンボルゾーン中央に鎮座するテーマ館のプロデューサーに太郎氏を任命した。太郎氏は、「神聖感をあらゆる意味で失ってしまった現代に、再び世界全体に対応した新しい『祭り』をよみがえらすことができたら」と、祭りの神性として、「ベラボーな神像をぶっ立てた」のだ。

 

 

メインゲートの正面に両手を広げ屹然と立つ、高さ70mの巨大な彫刻は、総入場者数およそ6421万人を迎えた。塔内には〈生命の樹〉と呼ばれる壮大な歴史のオブジェがそびえ、エスカレーターを乗り継ぎ40億年の生命感あふれる時間を体感する。幼いわたくしが抱いた躍動的な生きものという感覚が、強烈な記憶として、色あせることなく刻まれている。

 

 

大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」。そこで〈生命の樹〉は何を語ったのか。安直な未来志向に危機感を覚えた太郎氏は、「人類は進歩なんかしていない。何が進歩だ。うわべの調和よりも、ぶつかりあって生まれるのが本当の調和なんだ」と公然と述べ、近未来的なパビリオンとは明らかに対極にある、根源的な世界、脈々たる生命の潮流を打ち出し共生させた。

 

 

閉幕後、なぜか〈太陽の塔〉は撤去せず、内部はそのまま封印された。半世紀後の令和、太陽の塔は新型コロナウイルスへの警戒アラート色を発し、再び睨みを利かせている。
多くの言葉を残した太郎氏。生きていたら、パンデミックの脅威に怯える人類に今、何を言うのだろうか。

 

小川陽子氏
日本医学ジャーナリスト協会 前副会長。国際医療福祉大学大学院医療福祉経営専攻医療福祉ジャーナリズム修士課程修了。同大学院水巻研究室にて医療ツーリズムの国内・外の動向を調査・取材にあたる。2002年、東京から熱海市へ移住。FM熱海湯河原「熱海市長本音トーク」番組などのパーソナリティ、番組審議員、熱海市長直轄観光戦略室委員、熱海市総合政策推進室アドバイザーを務め、熱海メディカルリゾート構想の提案。その後、湖山医療福祉グループ企画広報顧問、医療ジャーナリスト、医療映画エセイストとして活動。2019年より読売新聞の医療・介護・健康情報サイト「yomiDr.」で映画コラムの連載がスタート。主な著書・編著:『病院のブランド力』「医療新生」など。

 

 

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