「過剰受診」への気付きか
コロナ禍で日本の医療構造の弱点が浮き彫りになった。約89万床もの世界一の一般(急性期)病床数を誇るのに、コロナ対応ベッドにはわずか4%強しか回せなかった。
病床が足りないため、コロナ患者は自宅待機を強いられ、医療危機を招いた。諸外国と異なる日本独特の医療体制に問題があるようだ。
日本の病院の8割は医療法人などの民間運営。その多くは小規模でベッド数が少ない。当然、医師や看護師の専門職も多くない。入院患者10人近くに対し1人の看護師が配置されているが、コロナ患者の場合は1対1と手厚い配置を迫られる。看護師の人手不足は相変わらずの中、とても対応できないとされる。
加えて、全国で呼吸器専門医が少なく、コロナ重度患者向けのICU設備も多くない。
小規模で経営を維持していくために、入院患者をはじめ限度いっぱいの対応をとり、診療報酬をできるだけ多く取得する日々に追われてきた。とてもコロナ対応ができる「医療大国」ではなかった。
ではなぜ、小規模民間病院が多数派を占めるのか。欧米諸国では、公立系の病院が全体の8割ほど。日本とは逆だ。公立系病院であれば、コロナ病床への転換は政府や自治体の号令、指示がストレートに行き届く。海外から医療危機の声がほとんど聞かれないのは、こうした経営主体の違いが大きい。
日本では国民皆保険制度の下で医師の自由開業が認められ、診療所が多数名乗りを挙げた。その診療所が、規模の拡大を追い求めて個人開業から医療法人となり、20床以上の中小病院が広がった。
医療法人として「経営の独立」を主張し、政府の介入を嫌うようになる。医療界の自律性を強調したのは「ケンカ太郎」の異名をとった武見太郎・日本医師会長。1985年から25年間も会長を続け、権勢をふるった。
「プロフェッショナル・フリーダム」を唱える。プロの医業は国や外部からの干渉を受けるべきでない、としフリーダムは「オートノミー」(自主性、自治)に通じる。医療界は「経営の自由」を確立させた。
医師たちの「開業の自由」と裏表の関係なのが患者たちの「フリーアクセス」だ。どこの医療機関でも自由に受診できる日本独特の制度である。
共に自由市場が前提となる。一般の経済活動と変わらない制度である。国民皆保険制度が保障する「いつでも、どこでも診療できる。受診できる」という体制が築き上げられた。
だが、野放し市場でもあり弊害を伴う。ドクターショッピング(重複診療)、ポリファーマシー(多剤併用)などだ。欧米諸国に比べ年間の受診回数は断然多く、入院期間も長い。税と保険料で成り立つ特別な市場なのに、国を挙げて「医療依存度」が高い。そこへコロナウイルスが直撃し、状況が一変しそうだ。
国民の多数が通院や入院をためらいだした。受診者が激減した。その結果、昨年度の総医療費が、前年より1兆円以上減少し42兆円台になるという。
驚くべきことだ。厚労省が6月25日に公表した。介護保険発足の2000年度に約6000億円減少したが、それを上回る過去最大の規模だ。
受診控えで健康状態は悪化しなかったのだろうか。NHKが、定期通院や一時通院患者3000人の調査結果を6月27日の「NHKスペシャル・パンデミック」で放映した。各81%と77%の患者が「健康状態は変わらない」と回答したという。
「もともとが過剰受診だったのでは」という識者の解説の後で、画面には「風邪なら通院しなくても治ると実感しました」という子連れママの言葉が続いた。
病院が多い地域ほど医療費が膨らんでいる。よく知られた事実だ。病院が患者を呼び込み増やす。自前で直せる軽い病でも病院に駆け込んでいた。それがコロナ禍で適切な選択が成されたようだ。
肺炎を筆頭に、心疾患や脳血管疾患の死者が昨年は前年より減少した。一方で、手厚い延命治療を避ける老衰死が大幅に増えた。病院への依存心が少なくなって総死者数が減り、医療費が減った。
浅川 澄一 氏
ジャーナリスト 元日本経済新聞編集委員
1971年、慶応義塾大学経済学部卒業後に、日本経済新聞社に入社。流通企業、サービス産業、ファッションビジネスなどを担当。1987年11月に「日経トレンディ」を創刊、初代編集長。1998年から編集委員。主な著書に「あなたが始めるケア付き住宅―新制度を活用したニュー介護ビジネス」(雲母書房)、「これこそ欲しい介護サービス」(日本経済新聞社)などがある。