経済産業省ヘルスケア産業課長だった江崎禎英氏は、当時担当部局内で「高齢化対策」の表現を使わないよう指示したという。
誰もが健康で長生きすることを望み、それが実現すれば、社会は必ず高齢化する。つまり「高齢化」は私たちが健康長寿を求めた結果であり、対策すべき課題ではないからだ。とかく暗いイメージで語られがちな「高齢化」を捉え直し、コロナの先にある健康長寿社会を目指すべきと説く江崎氏にインタビューした。

社会政策課題研究所 所長 岐阜大学客員教授 江崎禎英氏
視点を変える意味
――新型コロナウイルスへの対応について。
江崎 1年以上に及ぶコロナ対応の生活によって、「自粛疲れ」が顕著になっています。その結果、路上飲みなどを通じて感染が広がる一方で、「コロナが怖い」と部屋に閉じこもり、高齢者を中心にフレイル(虚弱)やうつになる事例も増えています。
しかし、ここで注目したいのはコロナ禍での国内の死亡者数です。コロナに明け暮れた令和2年の死亡者数は約138万4500人。前年比で約9400人減っています。高齢化によりここ数年は毎年2万人ほど死亡者数が増える傾向にあったことを勘案すると、実質的には約3万人近く死亡者が減ったことになるのです。
――意外な印象を受けます。
江崎 そう感じる人は少なくないでしょう。この数値から、少なくとも手洗い、消毒、マスクを始めとするセルフケアは、私たちの健康管理に大きな効果があったことがわかります。アメリカを始めとしてほとんどの国では死者が大きく増加していることに比べると、日本の状況は明らかに異なるのです。
今回の新型コロナウイルスは、感染力が強いことに加え、感染者の多くが軽症か無症状であるため、感染者が活発に動きます。そのため、極めて感染が広がりやすいのです。他方、飛沫感染が主たる感染ルートですから、重症化リスクや感染経路を理解して効果的な予防、免疫力を高める行動によって適切に対応できるのです。その上でワクチンを活用しながら集団免疫を形成していくことが重要なのです。コロナの収束に向けて、より丁寧な説明を行い、正しい理解のもとで国民が合理的な行動を取れるような対応が求められます。
――視点を変えると見える景色が違ってくる。
江崎 そうした観点から「高齢化」を捉え直してみましょう。この言葉は「対策」とセットで使われることが多いのですが、そもそも高齢化は対策すべき課題なのでしょうか。「高齢化対策」という表現には、暗に「長生は迷惑だ」というメッセージが込められているように感じます。
ヒトの生物的な寿命は120年と言われます。誰もがその寿命を全うできる理想の社会では、65歳以上の高齢者の割合を示す高齢化率は、理論上約46%となります。誰もが健康長寿を願い、経済の発展と医療技術の進展によってそれが実現すれば、社会は必然的に高齢化するのです。
――対策すべき事象ではないと。
江崎 はい。現行の社会保障制度は1960年代から70年代にかけて作られており、70歳前後で亡くなることが前提になっています。これを多くの方が100歳近くまで生きられるようになった現状に当てはめようとするため、矛盾が生じるのです(下グラフ参照)。
最近の調査では、男女ともに80歳近くまでは大半の高齢者が身体的に健康な状態を維持していることが示されています。
取り組むべき課題は、高齢化ではなく、「人生100年時代」において与えられた時間をいかに楽しく健康に生ききるか―健康長寿社会の実現―なのです。
――医療や介護も変わる必要がある。
江崎 医療・介護は何を実現するためのものなのか、目的を再確認する必要があります。
介護についていえば、現状のサービスは「お年寄りは支えられるべきもの」との前提に立っています。その結果、サービスの利用者が役割を与えられることはなく、誰かに支えられるだけの存在となっているのです。高齢者施設においては、利用者からの「ありがとう」がスタッフにとって励みになるかもしれません。しかし、利用者にとって一日中「ありがとう」と言い続けることは、「自分が誰かに負担をかけている」ことを確認する行為でもあり、辛いことなのです。
介護の本当の目的は、「最期まで自律した生活を目指す」ことにあるはずです。誰かの役に立って「ありがとう」と言ってもらえる生活こそが大切なのです。
――医療については。
江崎 医療においては、これまで病気になってから開始される医療サービス提供のあり方から、健康な状態を維持するための生活管理による予防と進行抑制へと転換することが必要です。それには、発症前から日々の健康データを収集し、継続的に管理することが基本になります。現在、最後の手段と考えられている再生医療も、「予防」や「先制医療」として使用することで、患者のQOLを大きく向上させることにつながります。
健康長寿社会の幸せな生き方
――健康長寿社会の実現に向けて。
江崎 健康長寿社会とは、誰もが自律した生活を確立し、最期まで社会的役割と自由が保証される社会です。医療・介護は自律をサポートする仕組みなのです。これを公的な社会保障だけで実現することは難しく、新たな産業を生み出す民間の知恵と資金が重要です。
病気にならない「予防」、重症化させない「進行抑制」、切り離さない「共生」。人生100年時代、いつまでも「ワクワク」しながら生きる「幸せのかたち」を創ることが、大切なテーマになるのです。

社会政策課題研究所 所長 岐阜大学客員教授 江崎禎英氏
東京大学教養学部国際関係論卒業。平成元年通商産業省入省。通商、金融、IT、エネルギー等の分野を経て平成24年から健康医療政策に注力。内閣府においてコロナ対策にも携わった後退官し、令和3年に社会政策課題研究所を設立。