走り、ぶつかり、道切り拓く
明治期、男性のみに認められていた「医術開業試験」の受験資格を女性にも開放すべく闘った女性がいた。日本初の公許女医として、医療の道を目指す女性たちの道しるべとなった荻野吟子だ。吟子の子孫で高齢者福祉事業に携わる高橋公子(きみこ)さんは、「意識したわけではないのに、気がついたら吟子と似たような生き方をしている」と自身の活動について語る。

Bunne Japan株式会社 代表執行役員 株式会社朝日ケアコンサルタント プログラム マネージャー 高橋公子さん
「自分のまま」抱きしめて
――公子さんがケアの道に進まれたのは、やはり医者である吟子の影響ですか?
いえ、全くの偶然です。もともと専攻は経営学とマーケティングで、そちらの方に興味がありました。私は荻野吟子の実家の荻野家の子孫ですが、20代の時に初めて彼女の存在を知りました。その時は、「あっそうなんだ」くらいの感じでしたね。私の曽祖母の旧姓までが荻野で、彼女は吟子にも会っていたそうです。
スウェーデン関係の仕事に携わったことがきっかけで、福祉事業を通じて母国スウェーデンと大好きな日本の架け橋となることを目指すパートナーのグスタフと出会いました。この業界に入ったのは、彼が代表取締役をしていた千葉県にある有料老人ホームの仕事に興味を持ったからです。
いまから7、8年前のことですが、ご入居者さんが生き生きと楽しく毎日を過ごされているのを目にして高齢者施設のイメージが変わりました。でも、認知症やケアのエキスパートが揃っているのに、発信力がないため業界外ではほぼ認知されていない。施設にもブランディングが必要なのでは?と思ったんです。
――いまは、「ブンネ・ジャパン」と「朝日ケアコンサルタント」という二足のわらじで活動されています。
「ブンネ」とは、スウェーデン人のステン・ブンネさんが生み出した「ブンネ楽器」を使ったコミュニケーションツールです。「ブンネ・メソッド」に沿ってみんなで楽器を演奏することで、高齢者や認知症の方の機能維持や症状の緩和が期待できます。ホームで有効なケアツールを必要としていたグスタフが、仲間と協力して本国から取り寄せました。
ブンネ・ジャパンの理念は、「私って、いいネ」です。日本人て、何かこう〝我慢が美徳〞みたいなところがありますよね。それを全否定はしませんが、痛ければ痛いって言っていい。助けてって思うなら助けを求めていい。もっと声を上げようよって思うんです。ブンネを通して達成感や喜びを感じながら、もっともっと自分を解放しよう、自分の存在をそのまま抱きしめよう、と伝えたい。
現在ブンネ・メソッドをお使いいただいている国内の会員施設は20くらい。国外では、スウェーデンに加えて香港、中国、オーストラリア、シンガポールの4か国でブンネが始まりつつあります。
「こひつじ会グループ」の介護事業者、朝日ケアコンサルタントでは、今年4月から「グスタフ&公子」のペアでデイサービスや施設の運営に携わっています。なぜ2人1組なんだ?と言われることもありますが、多動で、何事も恐れずうわぁ〜って挑戦する私と頭脳派の彼は正反対のタイプ。だからこそ、2人で動くとパーフェクトなんです。まだまだ〝新人〞ですが、ここから2人で実績を作り、周囲に認めてもらいたいと思っています。
――ブンネ・メソッドについては後編で詳しく伺いたいと思いますが、なんと他の活動もされているとか?
介護業界の人材不足の問題を何とかしたいと思い、Facebookで「介護求人コミュニティー」というグループを作り、ボランティアで介護施設と異業種のマッチングをしています。
たとえば全国のサッカークラブコーチたちに、〝すき間時間〞で介護事務の仕事をご紹介しています。従業員の就業期間が限られている酒蔵会社さんも、興味を持ってくださっています。
業界に新風吹き込む
「公子さんがそこまで言うなら介護業界に入ってみようかな」とおっしゃる異業種の方も多いですよ。やはり、介護業界というのは動きが遅いし守りがすごく固いんですね。もっと外の風を入れて、魅力的なイメージを発信していきたいです。
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映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」(2019年/配給:現代ぷろだくしょん)の上映会にて山田火砂子監督とパートナーのグスタフさんと
――お話を聞いていると、新しいことに果敢に挑戦し続ける公子さんと荻野吟子が重なって見えます。ご自身の中に〝吟子スピリット〞があると思いますか?
非常にあると思います。仕事に奔走する中で、ふと吟子のことを思い出して気づいたんです。あれ?そういえば、私がいま目指していることって彼女が目指していたことと一緒だ、と。
吟子は、誰が何と言おうと自分を信じて進んでいった強い人だと思います。私もよく「強い人だね」って言われます。でも本当は弱い部分もあるので、そう言われるのは実は苦手なんですけれどね。
吟子は「愛と共感」の人でもあります。私の人生のテーマも同じで、それは努めてやってきたのではなく、自分のありのままがそれだった、ということです。相手を排除したりできないことに対して否定的になったりするのではなく、「あなたができないなら、僕が私がやるよ」と相手を受け容れ共感する。愛を持って支え合う。そんなことが当たり前な社会になるといいな、と思いながら高齢者事業に取り組んでいます (後編に続く)。
聞き手・文 八木純子
荻野吟子(1851~1913年)
提供:熊谷市
日本女性として初めて医師の国家資格を取得。
終生女性の社会進出と地位向上のために尽力し続けた。