<新たな包括ケアの取組み ~多世代コミュニティ・共生社会を考える~
連載第40回 第二次有料老人ホーム建設ブームにおけるビジネス上の問題点➂>
第38回「シルバーニーズとのアンマッチ」でみたように、多くの高齢者は、同一敷地もしくは最寄の別施設で介護や医療を受け、死ぬまで1つの地区で面倒を見てもらう、というのを理想と考えていました。
このような高齢者のニーズは万国共通のようです。
アメリカでは、コンティニュイング・ケア・リタイアメント・コミュニティ(CCRC)という複合機能の介護施設が多く造られました。これは、健常者の高齢者が入居するインディペンダント・リビング(健常者向け有料老人ホーム)と、介助や軽度の介護が必要な高齢者が入居するアシスティット・リビング(虚弱者向け有料老人ホーム)、中・重度の介護が必要になった場合に入居するナーシングホーム(重度の要介護者向け有料老人ホーム)と、そのほかの併設病院やリハビリ施設やホスピスが大型パッケージで開発され、高齢者が自分の身体の状況に応じて、その複合施設内の各施設を転居していくという形の施設でした。CCRCは文字通り高齢者にとって終身利用が可能な施設だったのです。
アメリカの場合、基本的に営利非営利を問わず民間経営であり、健常者向けから重度の要介護者向けまでの施設が同一経営主体、同一開発プロジェクトの中で建設されるということが可能でした。
しかし我が国の場合、特別養護老人ホームは地方自治体の福祉行政の施策の1つであり、医療機関は医療行政であり、また有料老人ホームは比較的自由な民間事業であり、ということで、縦割り行政の中で同一プロジェクトとして開発するのは難しいことでした。
このような状況の中、日本でも「法律を制定して、こうした複合的施設を地域コミュニティとして開発しよう」という動きがありました。厚生省(当時)が昭和63年ウェルエイジング・コミュニティ(WAC)構想として取り入れた「健康長寿のまちづくり」です。
特定民間施設として「有料老人ホーム」、「高齢者総合福祉センター」、「在宅介護サービスセンター」、「疾病予防運動センター」という複合施設を1つのセットで開発する、アメリカのCCRCを模した施策でした。
その開発プロジェクトには税制面、資金融資面、開発面でいくつかの優遇措置がとられていました。しかし、実際には数ヵ所の実施例を除いて、バブル崩壊により有料老人ホームビジネスが冷え込んだため、大きな広がりは見せませんでした。
コミュニティネット 代表取締役 須藤康夫氏
1952年東京生まれ。あいおいニッセイ同和損害保険にて医療や介護の保険開発や新規事業に従事し、最後の10年間はMS&AD基礎研究所の社長として過ごす。研究論文や編集刊行物に「有料老人ホームの歴史と展望」、「米国の医療保険」、「オランダの医療保険」、「介護施設のBCP」、「病院のBCP」など。研究所時代に東日本大震災があり、津波から要介護者や障がい者を救うための特殊担架ボートを開発。