女性のX染色体にある原因遺伝子の変異が引き起こす遺伝性の神経難病「副腎白質ジストロフィー(ALD)」。主に男児と成人男性に発症し、視力や聴力の低下、歩行・行動障害などが起こり、通常は数年で寝たきりとなる。

 

ALDと向き合う家族の実話を映画化した『ロレンツォのオイル/命の詩』(米92年)で息子を必死に守る母親がロールモデルになったという本間りえさんは、自身の息子、光太郎さんが抱えるこの病気について発信を続けている。

 

特定非営利活動法人ALDの未来を考える会
(通称:A-Future)理事長
一般社団法人うさぎのみみ代表理事
本間りえさん

 

 

どんどん様子が変に

 

――光太郎さんは、1996年、6歳の時にALDを発症されました。
小学校に入った年です。

少し前から、幼稚園のバスに乗りたくない、お友達とうまく遊べない、などと訴えていたのですが、そのうち急に立てなくなったりハッと怖がるようになったりして、どんどん様子がおかしくなっていきました。

 

地元の医者を回っても原因が分からず、あちこち相談して調べましたが全然手がかりがなくて。

入学式の時には、体育館をウロウロするような多動症状が出ていました。そのうち身体がダランと脱力してランドセルもしょえなくなってしまったので、毎日自転車のカゴに光太郎を乗せて学校に連れて行きました。

 

発達障害の専門医でMRIを撮ったところ後頭葉に白い影が出ており、ゴールデンウィーク明けに慈恵医大でALDと診断されました。

 

日本では有効な治療法がまだなかった頃です。「この病気では1年もたないかもしれない。お母さん、今のうちに可愛い写真をいっぱい撮っておいてあげてください」と言われ、夫はショックのあまり病室を出て行きました。

 

でも、腕の中の光太郎はニコニコしてママって見てるんです。泣いてちゃいけない、しっかりしなきゃって。「光ちゃん、ママがずっと一緒にいるからね」って、光太郎の目を見ながら誓いました。

 

 

修羅場乗り越えて

 

――『ロレンツォ』のワンシーンと重なるようです。映画では、オレイン酸(オリーブオイル)とエルカ酸(菜種油)の混合物を摂取する食事療法が有効とされていました。
今では、ロレンツォオイルは発症後の人には効かないと言われています。

光太郎の場合は、当時9歳だったお姉ちゃんの白血球型が合致したこともあり、それまでフランスで1件だけ成功例があったという骨髄移植を選択しました。

 

ALDは、この病気の特徴である極長鎖脂肪酸の数値と遺伝子検査、MRI画像の3つで診断します。発症早期であれば、骨髄移植や臍帯血移植が今は有効な治療法で、成功すれば学校や社会への復帰も可能です。薬物療法はありません。

 

光太郎は移植後に、免疫抑制のための抗がん剤のせいで副作用と合併症がどっと出ました。10ヵ月の入院中42.5度の熱が出たり下がったりが2ヵ月半続き、髪もまつげも抜けて背中の皮膚も全部むけ、嘔吐や下痢で一日中シーツを換えているような状態でした。

 

本当に壮絶で、可哀想で可哀想で。もう明日ダメなんじゃないか、という光太郎を前に、ありとあらゆる願掛けをしました。病室で般若心経を書いたりも…。もうそうでもしないと精神を保てないような状態で。

 

パパはパパで、病室に来てはワーッと泣くんですよ。だから非常階段で、「オマエ、泣くんだったら来るんじゃねぇ! ふざけんなッ!」って、はじめて男の人を殴りました。「オマエを刺してオレも死ぬ」って包丁突きつけられたこともあるしね。そんな修羅場を乗り越えて、頑張っている光太郎をどんな状態でも絶対に家に連れて帰る!との覚悟で、私の心はメラメラと燃えていました。

 

 

全国の “光ちゃん” のために 

 

―― 母の愛は、強く、深い。その覚悟が患者会を作らせたのですね?
この病気の進行は早いです。光太郎も、もっと早く移植できていれば社会生活できたでしょうね。

だから早期発見が大事なんですが、ALDのお子さんて、ADHDや精神障害と間違えられやすいんですよ。で、目が見えなければ眼科、耳が聞こえづらくなれば耳鼻科へって感じで。ほとんどの開業医は先天性代謝異常なんて知りませんから。

 

まずは啓発を、と、2000年1月に「ALD親の会」を立ち上げました。

 

海外の患者会を参考にしたり医師の先生方に協力を仰いだりして手探りながらも勉強会を開き試行錯誤を重ねて、患者会は成長していきました。同時に、私自身も講演や異業種交流会などで話をするようになり、ボランティアや寄付などのサポートも増えました。

 

ALDをはじめとする難病を発症したお子さんを持つお母さん方へのカウンセリングも続けています。見つけることが難しい病気だからこそ発信し続けることが大事だと思うし、ここへ辿り着いてくれれば全面的にサポートします。

 

 

12年4月に患者会を法人化して「ALDの未来を考える会」を設立しました。現在会員数は134名、17 団体が参加しています。先月1日には、東京都西東京市に重症児者多機能型通所事業所「うさぎのみみ」もオープンしました。

 

光太郎は現在32歳。発語もないし、身体もほとんど動きません。でも、瞬きしますし、嬉しい時には笑います。今では、アイトラッカーを使って視線入力で絵を描けるようになりました。すごいですよ、ちゃんと自分を表現しています。

 

 

瞳の力で作品を描く本間光太郎さん(本人提供)

 

 

彼には、とにかく自分の好きなことをし続けて元気でいて欲しいですね。

 

(4月6日号に続く)

聞き手・文 八木純子

 

 

 

 

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