住み慣れた地域で最期まで暮らし続ける――。この地域包括ケアシステムの考え方を見事に成し遂げた住宅団地がある。それも社会福祉法人や大企業でなく地元住民が主導。地域に根付いた実践モデルだ。

 

国家公務員共済組合が1965年に開発した愛甲原住宅。神奈川県伊勢原市と厚木市にまたがる約900戸の戸建ての住宅団地である。ここに4本の玄関柱が目を引く洒落た「風の丘」が建つ。

 

 

2階建て14室の住宅型有料老人ホームである。1階には介護保険の小規模多機能型居宅介護(小多機)の通所スペースがあり、老人ホーム入居者のほか地域住民が集う。運営するのは住民たちのNPO法人「一期一会」。

 

同法人は、団地の商店街で通所介護の「デイ愛甲原」、居宅介護支援事業所、それに、保険外のコミュニティカフェ「CoCoてらす」も手掛ける。いずれも空き店舗を改造した。

 

 

津崎さんの自宅が集合住宅「風の丘」に変わった。1階には小規模多機能の通所スペースも

 

 

これらの事業所を高齢住民がそれぞれの好みや心身の状況に応じて利用している。終末期を迎えても、入院ではなく、風の丘で暮らし続けて人生の幕を閉じる人たちが多い。2006年4月に開設した風の丘の累計入居者は60人近い。これまでの死亡者35人の6割強に達する22人が自室で旅立った。国全体では病院死が7割を占めるのに。

 

 

昨年11月に101歳で亡くなった佐藤ユリ子さん。1人暮らしを続け、95歳の時にCoCoてらすに通い始め、カラオケに興じゲートボールにも参加していた。アルツハイマー病と高血圧の症状が進んだため、2年後に小多機の利用者となり、週2日は風の丘に通い出す。服薬管理などで看護師やヘルパーに見守られながら、自宅の庭で野菜や花を育てていた。

 

昨年1月、自宅で転倒している姿を昼食の弁当を届けた風の丘のスタッフが見つけ、風の丘に入居することに。老衰で亡くなる前2週間、食事が摂れなくなっても入院はしなかった。

 

「長いお付き合いの中で信頼関係を築いてきて、看取りへの暗黙の了解がありました」と法人理事長の川上道子さんは振り返る。
コミュニティカフェから始まって、デイサービス、そして小多機と同法人のサービスをフルに活用し、自宅近くの風の丘に「引っ越し」て亡くなった。地域包括ケアで定義される在宅とは、自宅だけでなく、自分が住みたい所でもある。同じ団地内の風の丘が、佐藤さんにはケア付きの「第2の自宅」であった。

 

 

風の丘で10年ほど暮らした萱場久子さんが亡くなったのは5年前。亡くなる2年前、夫も風の丘の別の部屋に入居してきた。前立腺がんに肺炎を併発し、大学病院に入院していたが、妻との共同生活を強く望んで退院。「酒や好きな食べ物を食べたい」と要望。スタッフがその望みをかなえ、点滴を外した。

 

夫は亡くなるまでの10カ月間、妻と同じ食卓に着いた。風の丘で働いていた娘も加わり、共同生活が営むことができた。

 

 

風の丘の場所には、デイ愛甲原に通っていた独居の津崎能子さんの住まいがかつてあった。「地域の人たちと共同生活をしたいから、建て替えて」という津崎さんの決意を受け、建設費の過半を住民から募って新築した。その一室に津崎さんも入居し、翌年90歳で亡くなった。

 

 

「最期までこの愛甲原住宅で」という津崎さんの思いを引き継いだNPO法人。住民による、住民のためのケアサービスの創出活動であり、まちづくり活動といえるだろう。

 

 

 

 

 

浅川 澄一 氏
ジャーナリスト 元日本経済新聞編集委員

1971年、慶応義塾大学経済学部卒業後に、日本経済新聞社に入社。流通企業、サービス産業、ファッションビジネスなどを担当。1987年11月に「日経トレンディ」を創刊、初代編集長。1998年から編集委員。主な著書に「あなたが始めるケア付き住宅―新制度を活用したニュー介護ビジネス」(雲母書房)、「これこそ欲しい介護サービス」(日本経済新聞社)などがある。

 

 

 

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