現在病院や施設で使われているような車いすの原型が日本ではじめて作られたのは、1936年。64年の東京パラリンピックを契機に生産が増えていったという。

国内シェアトップの松永製作所(岐阜県養老町)は、全国約200の販売店を通じてフルオーダーメイドの各種車いすをユーザーのもとに届け続けている。

 

 

株式会社松永製作所
代表取締役社長
松永紀之さん
(提供:松永製作所)

 

 

 

多くを得るより多くの力に

――1974年、ご両親による創業だそうですね。
もともと金属加工業を営んでいた親父の従兄弟が東京パラリンピックを機に車いすを作り始め、それを親父も手伝うことになったのが最初です。でもいろいろあって最終的に親父がそこを出て、新たにお袋と2人で会社を始めました。

 

おそらくこの時期に、それまでの木製などに代わり金属製の車いすを作るメーカーが同時多発的にできていったんだと思います。ただ今のように高齢者が車いすを使う時代ではなく、障害を持つ方に1台1台手作りでお渡しするという形でマーケットも限定されていましたので、はじめの頃は本当に苦労したようです。

 

 

座る姿勢にこだわる

――時代とともに車いすはどう変化したのですか?
まず歴史が一番古く皆さんが目にする機会が多いのが、病院の玄関に置いてあるようなスタンダードな車いすです。車輪が4つあってフレームが固定されており、布切れ1枚の背シートと座シートがある安くて丈夫な車です。20年前まではずっとこれが主流でした。

 

その後、介護保険が始まった頃から、車のトランクなどへの積み下ろしが楽なコンパクトな物がいいという〝介護者目線〞の要望が取り入れられました。足を乗せる台を開いたり取り外したりできる「スイングアウト」や肘を乗せる部分が後ろに跳ね上がる「肘かけ跳ね上げ」といった機能を備え、ベッドなどに横付けしてそのまま横に移乗できる、介助が楽になる車いすができました。

 

90年以降、国が「寝たきりゼロ作戦」を掲げたことで、車いす利用の高齢者が増えました。でも布切れ1枚の座席に30分も座っていたらお尻が痛くなります。そこで座席にクッションがつくようになりました。

 

私どもはここ10年ほど、作業、食事、安楽のための「シーティング(座る姿勢)」を積極的に作ることに取り組んできており、利用者の身体に合わせて背・座シートをマジックベルトで張ったり緩めたりする張り調整機能を製品に持たせてきました。

 

そしてこのたび調整方法をまるまる一新し、「グレイスコア」という新製品を開発しました。

 

 

 

――どんな特長を持った製品なのですか?
施設に行くと、背中を丸めて下を向いている方や、逆に上向きで椅子の前方に腰を出す〝ずっこけ座り〞をしているお年寄りが多く、こんな姿勢で食事介助したら誤嚥してしまうから胃ろうにしよう、となりがちです。でも理学療法士や作業療法士と話すと、「このおじいちゃん、ちゃんとした姿勢ならまだ自力で食べられるよね」って。

 

車いすの肘掛けをずっと両手で掴んでいる方も多いです。この場合も、病院にあるような直角の車いすではどんどんお尻が前に滑ってずり落ちそうで怖いので懸命に握ってしまい、そのため漕ぐことも作業も自力ではできない。じゃぁこの人はもう全介助でいいや、となってしまう。

 

でも、食事の時の姿勢をきちんと評価・指導することができれば、胃ろうを作らない、あるいは作るまでの時間を延ばせるはずです。必死に握らなくても姿勢が保持できる車いすがあれば、ほんの1、2メートルかもしれないし、方向転換だけかもしれませんが、「これをやってみたい!」と自力で車いすを漕ぐことで脳や意欲が刺激され、その毎日の積み重ねがものすごく大きな違いを生み出すのではないか。

 

そんな話から、「快適に座れる」「適切な姿勢が取れる」「軽く漕げる」ことを目指して10年分の技術と知識を全て注ぎ込み、車いすユーザーができることを増やすために作ったのがグレイスコアです。

 

 

肘かけを跳ね上げスイングアウトした状態のグレイスコア(提供:松永製作所)

 

 

 

〝知る人ぞ知る〞存在に

――あくまでユーザーの使いやすさ・心地よさ第一というのが「マツナガのものづくり」なんですね?
本来「ものづくり」とは、世界70億の人に広く買ってもらい使ってもらうことが大正義のはずです。でも私どもの製品の場合はちょっと違って、たぶんユーザーが本当に望むのは、医療が劇的に発展し、元通りにまた自分の身体だけで動けるようになりたいということです。

 

しかしまだそれは実現できない。それなら福祉用具を使って少しでも自分らしくやりたいことをやろう、との〝セカンドチョイス〞として選ばれるものなので、異端も異端、大異端だと思います。

 

だからこそ、大きな会社ではなく「良い会社ですね」と言っていただける、〝知る人ぞ知る〞内容のあるメーカーでありたいと思っています。世の中の役に立つことを使命として一所懸命頑張って、その結果、世界の障害者・高齢者の方々が私どもの車いすを使ったことで幸せになっていただけるなら、嬉しい。

 

つい数年前まで、創業期に直販をしていた社員も現役でした。

昔ユーザーさんの所から帰ると、子どもだった私に「うちの会社は小さくて給料も出ないけれども、本当にいい仕事しているんだよ。おじいちゃんおばあちゃんの所へ車いすを持って行くとたくさん喜ばれて、『これお食べ』ってみかん貰えるんだよ」と話してくれたものです。

 

いまでも残っているこうした社風を、大切にしていきたいなと思っています。

(6月1日号に続く)

聞き手・文 八木純子

 

 

 

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