<在宅医療事始 ~医療連携、その現状と展望~>

 

人生の終末期における、決して機能の回復が見込めない方へのケアこそ、その方の人間としての尊厳に最大限配慮した取り組みをすべきだと言いたい。

 

 

皆さんは今まで、障害が起こってしまった身体の機能を回復させるためにケアやキュアをしてきたはずだ。食べられなくなった口をケアすることによって食べられるようにしたり、動かなくなった関節をリハビリテーションすることで動かせるようにしたりする方法を学校でも学んできたに違いない。

 

しかし、もう回復することのない身体の障害に対してプロフェッショナルとして何をすべきなのかを考え、最大限の配慮を持って対応すべきだ。

 

 

その方がまさに人生の最期を迎えようとする時に、われわれはその方のより美しい状態を演出するために、自分の力量の全てを使って、その方らしい最期の姿を作り上げるべきだと思う。つまり、誤解を恐れずに言えば、その場合のわれわれの施しの目的は「美しいご遺体を作ること」だ。

 

食事を摂ることも、薬を飲むことさえもできなくなった方に対して、著しい関節拘縮の部位をリハビリすることで、痛み止めを使わなくても関節の痛みを少し和らげることができるかもしれない。同様に、血行が不良となった下肢の浮腫に対してマッサージをすることによって、皮膚の腫脹を軽減することができるのであれば、一瞬でもその方の表情が和らぐかもしれない。

 

 

さらに、飲食ができなくなった状態でも、口腔内をケアし、お口の中を美しく保つということは、不快感を取るという目的だけではない。口唇や歯は、最も目の行く場所の1つだ。そこが綺麗であるということは、その方がいよいよ最期を迎えた後で、ご遺族がそのお顔を見た時に、こんなにも美しく丁寧に、行き届いたケアがなされていたのだと感じ、心を穏やかにする一助になるのではないだろうか。

 

 

 

自分にとって大切な人が亡くなった時に悔いが残らないということはありえない。だからこそ、その最期の貴重な時間をより美しくいられるようにすることこそ、われわれができる最大の施しなのではないだろうか。

 

マザー・テレサが言っている。「人生のたとえ99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せならば、 その人の人生は幸せなものに変わる」と。

われわれはその方の人生の最期の1%に最大限のことができる唯一の職業であると誇りを持ち、機能回復が見込まれなくても、やっていることは最大限の意味を持っているのだと真摯に向き合っていただきたい。

 

 

 

 

髙橋 公一

医療法人社団 高栄会  みさと中央クリニック

埼玉医科大学病院 第一外科入局。消化器・一般外科、心臓血管外科、呼吸器外科、乳腺内分泌外科、移植外科、脳神経外科、小児科などを経験。2001 〜03 年に外科留学、移植免疫学を学ぶ。帰国後、埼玉医科大学に復職し、チーフレジデントを勤める。その後、池袋病院外科医長、行田総合病院外科医長を経て、08 年みさと中央クリニック開院。17 年に法人化。

 

 

 

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