病名は昔から変わらずも訪問診療現場は大きく変化

 

前回、拙著「看取りの医者」のドラマ化に当たって、若い制作陣の素朴な疑問を紹介しました。

患者さんは、どんな部屋で療養しているのか?私には普段の見慣れた日常の風景、しかし、日本の伝統的家屋である仏壇の前で先祖の紋付き袴の肖像画に睨まれながら介護ベッドに横たわる風景は、若い助監督達には、あの名作「犬神家の一族」の当主が横たわるシーンを思い起こさせたようです。彼らは軽い興奮状態の中、ご家族の了解を取り写真やスケッチを取り始めたのです。

 

後に古民家をお借りして、仏壇、神棚、先祖の肖像画を運び込み、患者さんの部屋が再現されました。撮影の合間に美術監督、この方は高倉建さんの映画制作にも立ち会われた方で、解説を聞く機会がありました。撮影現場に置かれている家具などは全て、何らかの意味があって置かれている。同じ部屋でも10年、20年、30年と時が経つと残っている物と消えていく物がある。視聴者には気付かれぬ物でも、我々は、その意味合いを意識して仕上げている。

 

 

「看取りの医者」ドラマ化の時は、よく、自分でも分からずに現場の再現を行っていたのですが、あれから10年が経過し私が訪問する患者さんの部屋も、さらに変わっていきました。登場人物としての患者さんの病名などは変わりませんが、部屋の風景は大きく変わっています。消えていった物として先祖の肖像画、仏壇、神棚、それから昔は、よくお会いした昭和天皇と皇后の御真影。平成、令和と変わり、それは消えました。

 

では、何が現れたのか?写真は、孫の写真や昔の家族旅行の際に撮られた集合写真などです。写真と言えば、少し前までは氷川きよしさんのポスターをよく見かけましたが、これが福田こうへいさんに変わりつつあります。純烈とは、まだ、お会いしておりません。

 

写真だけではなく、部屋の造りも変わってきております。畳からフローリングへ、部屋の仕切りは障子からドアへと。それから仏壇や神棚が消えていき、究極は、この10年間で同居する家族も消えていきました。

 

 

私流のサブカル知識で解釈をすると、20年前も今も日本人という人種を診ているわけですが、全く違う文化背景を持った民族といいますか、世代を見ているのです。我々の診療の現場は患者さんにとっては生活の場であり、介護の現場です。患者に寄り添う配偶者、息子や娘との関係は大きく変わりました。

 

それは、家とか家族という制度が戦後、大きく変わったことにもよるのです。

例えば、昔お世話した夫婦の結婚は家と家の結婚でした。昭和20年代生まれになると、お見合いや、故郷を離れて、都会で出会った男女が恋愛を経て夫婦となります。戦前「家」や「墓」は他人の血脈を入れても絶対守るものから、そうでもないものへと変遷したのです。

 

その家族制度の上に成立した「国家」という考えも天皇の御真影とともに変わっていったのです。

 

 

 

 

平野 国美(ひらのくによし)
医療法人社団彩黎会 ホームオン・クリニックつくば 理事長/医学博士

1992年に筑波大学を卒業。その後、筑波大学附属病院及び県内の中核病院にて地域医療に携わる。2002年に訪問診療専門クリニック「ホームオン・クリニックつくば」を開設し、翌年に医療法人社団「彩黎会」設立。
20年以上にわたり在宅医療や看取りに従事している。著書「看取りの医者」(小学館)は、11年に大竹しのぶ主演でドラマ化された。

 

 

 

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