政府は6月7日に「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針2022)を閣議決定した。「人への投資」を掲げる岸田文雄首相がコロナ禍からの再生を目指す基本政策である。
その第4章「中長期の経済財政運営」の中の「持続可能な社会保障制度の構築」で、日本の医療制度にはない「かかりつけ医」について具体的に書き込んだ。
「コロナ禍で顕在化した課題を踏まえ、質の高い医療を効率的に提供できる体制を構築するため、機能分化と連携を一層重視した医療・介護提供体制等の国民目線での改革を進めることとし、かかりつけ医機能が発揮される制度整備を行う」というものだ。
かかりつけ医の定義や基準を決めた法律や規則は一切ない。このため、ワクチン接種時に、「近くのクリニックに行ったら、断られた」という苦情が各地で上がった。住民は「私のかかりつけ医」と思い込んでいたが、クリニック側ではそうでなかった。日本医師会は「住民が選ぶ」としているが、実態は逆で、医療機関が一方的に患者を選別しているようだ。
そこで、新たに基準を設け、きちんと制度に組み込もうというのが骨太の方針の狙いだ。画期的な試みである。というのも、かつて同様の試みが政府で成され、とん挫した経緯があるからだ。
中曽根内閣時の1985年6月に厚生省は「家庭医に関する懇談会」を設けた。2年後の87年4月に報告書としてまとめ、そこで「家庭医10項目」を打ち出した。
「患者に全人的に対応する」「いつでも連絡がとれる」「地域住民との信頼関係を重視」などの項目が並ぶ。いずれも欧州で普及している家庭医(GP)そのものの考え方だ。
報告書を受けて、国は国会審議に入ろうとしたが、日本医師会の猛反対に遭う。反対理由は「国による統制だ」「自由開業の否定」「医療費削減の方便」など。その勢いに力負けした厚生省は撤回してしまう。なにしろかつて1カ月にもわたるストライキを決行した実力団体である。
家庭医制度が実現すると、報酬は登録した地域住民の人数に応じての人頭制となる。フリーアクセスに基づく現行の出来高払い制や「自由な経営」による自由開業の否定である。「収入源になりかねない」と危惧したのだ。
その後、日本医師会は家庭医に代わる新語、かかりつけ医を「発明」し使い出した。かかりつけ医の用語は、業界団体の発明品に過ぎない。一方の厚生省内では、家庭医がタブー視され、公式文書から消えてしまう。
登場したかかりつけ医は、欧州のような特別な研修は不要で、どのような医師でも自由に名乗りを上げられる。
つまり、かかりつけ医という用語は、本来の家庭医に戻すべきで、その制度化には35年前に公表された「家庭医10項目」を参考にすべきだろう。
この10項目をよく読むと、高齢者ケアの基本方針である「地域包括ケア」と通底していることが分かる。「医療の地域性を重視」「総合的・包括的医療を重視するとともに、医療福祉関係者チームの総合調整にあたること」「家庭など生活背景を把握し」などとある。
家庭医制度が定着している英国やオランダでは、こうした地域に密着した医療の役割がよく知られている。家庭医が地域の医療・介護の土台としてしっかり築かれ、そのうえで看護職や介護職、リハビリ職、そして地域ボランティアなどの住民活動がある。改めて地域包括ケアと声高に論じなくても、家庭医主導で長年続いているのである。
浅川 澄一 氏
ジャーナリスト 元日本経済新聞編集委員
1971年、慶応義塾大学経済学部卒業後に、日本経済新聞社に入社。流通企業、サービス産業、ファッションビジネスなどを担当。1987年11月に「日経トレンディ」を創刊、初代編集長。1998年から編集委員。主な著書に「あなたが始めるケア付き住宅―新制度を活用したニュー介護ビジネス」(雲母書房)、「これこそ欲しい介護サービス」(日本経済新聞社)などがある。