骨形成不全症という遺伝性疾患をもって生まれた垣内俊哉さん。骨がもろく、幼少期から骨折を繰り返し、車いすの生活に。障害という〝バリア〞を〝バリュー(価値・強み)〞に変えてきた。
「たくさんの人との出会いがあったからこそ、いま自分がここにいる」という垣内さん。これまで生きてきた中で得た学びや気づきを、社会に還元していきたいと語る。

株式会社ミライロ
代表取締役社長
垣内俊哉さん
やりきって、あきらめた
――ご自身の心には、常に「歩きたい」との強い思いがあったそうですね。
17歳の時、3回自殺を試みました。当時の私には歩くことがすべてでしたから、それが叶わないなら生きている価値はない、と考えてしまった。両親に、「なぜこんな身体で産んだんだ」という言葉をぶつけたことも。本当に親不孝なことです。父も母も諦めず、よく頑張ってくれたなと思います。
手術をし、リハビリを続けましたが、歩くことはできないと分かりました。でも、「あきらめる」ことが仏教で言うところの「あきらかにする」ことと通ずるように、できることはすべてやり切ったので、最終的にはある程度の踏ん切りもつきました。自身の中でしっかりとあきらめることができたから、歩けなくても、いや、歩けないからこそできることを探そう、と道を切り替えることができたんだろうと思います。
――そのような発想の転換のヒントとなる著書、『自分の強みの見つけかた』を3月に出版されました。
人生の長さは変えられなくても、幅は変えられる。だから、本を読んだり、遊んだり、バランスよく食べたり、しっかり休んだりしながら、未来に向かって少しずつ人生の幹を太くしていきましょう、というメッセージを込めた本です。
私自身は、特に強みというものを意識したことはありません。強いて言えば、先のことをしっかり考えて行動し続けてきたことくらいですかね。子どもの頃、本来楽しいはずだった社会見学や修学旅行でも、気になるのはお弁当やおやつではなく、行った先に車いす用のトイレがあるか、エレベーターがあるかということでしたから。そうした時間を過ごしてきたことで、あれこれ先回りして準備するようになりました。
13年に、手術の際の予期せぬ事故で5分間心肺停止となり、ぎりぎりで一命を取りとめました。結局は生かされているに過ぎないな、とつくづく感じましたね。父と母だけでなく、さまざまな人たちに支えられてきました。私自身が何かを成し遂げたというより、周りに学ばせてもらい、気づかせてもらい、導いてもらった。それに報いたい、という思いが今日まで一貫して続いています。
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『自分の強みの見つけかた』(KADOKAWA)
垣内さん自身も年間100冊以上の本を読むという
(提供:株式会社ミライロ)
――そんな垣内さんが見る日本のバリアフリーの課題とは何でしょう。
日本のバリアフリーができていない、進んでいないなどというのは誤った認識です。主要鉄道駅のエレベーター設置率を世界各国の都市と比べてみても、間違いなく最も高い。世界一外出しやすい国なんです。ただし、外出しやすいのと外出したくなるかどうかは、別。障害を持つ人への社会全体の無関心、あるいは過剰な反応という課題は残っています。
目の前の人のために何かできることがないか考え、行動する、声をかける、手を差し伸べるってことができれば望ましい。少なくとも、未来を担う子どもたちはできていますよ。こうした意識の変化も必要だろうなと思います。
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情報発信スペース「ミライロハウス」でのイベント風景(提供:株式会社ミライロ)
えてして世の中のバリアフリーは、肢体不自由のような、見て分かる障害のことに特化しがちです。しかし、たとえば災害時のホテルの館内放送は、聴覚障害を持つ人には聞こえません。ですから光でアナウンスしたり、枕のバイブレーションで知らせたりしなければいけない。新宿の京王プラザホテルなどは、かなり前からこうしたことに取り組んでいます。自然災害の多い日本ですから、快適性、利便性のみならず、命を守るためのバリアフリー、ユニバーサルデザインの実現に目を向けることも重要です。
故きを温ね、新しきにつなぐ ハードも、ハートも
――これから、どのようなことに力を入れていきたいですか?
環境、意識、情報のバリアフリーという話を前回しましたが、その中でも特に情報ですね。たとえばiPhoneの「VoiceOver」やAndroidの「TalkBack」機能を使えば、全盲の方もスマートフォンを使用できます。しかし、それに対応しているアプリは全体の1割にも満たない。いわゆる「ウェブ上のバリアフリー」が今後特に必要になるだろうと思います。
ただ大切なのは、新しいシステムやアプリを作るよりも、いまあるものをちゃんと使えるようにすることです。時宗の開祖、一遍上人の生涯を描いた「一遍聖絵」という鎌倉時代の絵巻には、車いすの原型である丸太のような椅子に座った人が描かれています。手に下駄を履いて外を移動している人や、介助されながら食事をする人も。徳川9代将軍家重と13代将軍家定は脳性麻痺だったと言われていますが、障害がありながらも将軍を務めました。日本は昔から多様な生き方と向き合ってきた国なんです。
先人たちが築きあげてきたものをアップデート、あるいはトランスレートしながら、後世にバトンを渡していく。歴史を踏襲しながら、多様性を包摂する社会にしていく。温故知新ですね。そうやって、ハードの部分も、ハートの部分も、そしてデジタルの部分においても世界を牽引できる国を、社会の皆さんと一緒に作っていきたいなと思っています。
聞き手・文 八木純子