6年前、ある乳がんの女性との出会いを思い出す。
「がん放置療法」を提唱する書籍の影響を受け、手術も抗がん剤治療も絶対に受けないという強い意思で病気の進行を許し、厳しい状況となった。継続的に診てくれる主治医が見つからないまま僕のところに流れ着いた。もうこのまま死んでもいい。そんな彼女が持参した前医の紹介状には、本人は看取りを希望、BSC(Best Supportive Care)でお願いしたい、と記載されていた。
無治療の乳がん。確定診断時のデータには、がん細胞のホルモン感受性や受容体に関する情報も記載されていた。普通の抗がん剤ではなく、副作用の少ない分子標的薬の治療効果が期待できるタイプの乳がんだった。
時間をかけて本人とじっくりと話をした。病気は怖い、でも治療も怖い。「治療なんてしなくていい」、そんな言葉にすがりたくなった。でも、明らかに病気は進行してきて、このままじゃいけない、でも考えたくない、そんなことをしているうちにさらに時間が過ぎてしまった。
確かに少し遅くなってしまったけど、今からでも治療をすれば、遅れを取り戻せる可能性もゼロではないかもしれない。分子標的薬の場合、恐れているような強い副作用も出ない可能性が高い。時間をかけて本人を説得し、最初に診断してくれたがん治療拠点病院に再紹介した。
「先生、私まだ生きてる!」
一昨年、彼女は元気に歩いてクリニックに遊びに来てくれた。
病気は完全に治癒したわけではない。だけど、毎日いつ死ぬのだろうと生きた心地がしなかったあの頃よりもずっとまし。娘の成人に立ち会うことができた。仕事にも復帰できている。あの時、諦めずに無理やり治療を勧めてくれてありがとう。そう感謝された。
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一人で決めず対話重ねて
かつての医療は、医者に逆らうことが許されない世界だった。文句があるなら退院しろ、二度と俺の外来に来るな、そんな脅し文句を使う医者は今でも存在する。患者の意思に基づかない、このような方針決定の形を父権主義(Paternalism)という。
それから時代は流れ、患者の権利意識が高まる中、自分の身体、命のことは自分で決めたい。そんな「患者の自己決定」という考え方が広がってきた。実際、「延命治療を受けない」、「抗がん剤を拒否する」、医療の現場では、そんな患者によく遭遇する。
しかし医療は進化していく。今までになかった選択肢も出現している。
これまで延命とされていた人工呼吸器を使って、自分の人生を取り戻し、国会議員として活躍する難病患者がいる。強い副作用が恐れられていた放射線治療や抗がん剤も安全性や治療成績が向上、がんの10年生存率は6割を超えるまでになった。
このような状況において、最新の医学知識に基づかない「延命措置はしない」「抗がん剤の治療はしない」という本人の判断を尊重することは、果たして、その人にとって最適な選択と言えるのか。
最適な情報がなければ、最適な自己決定は難しい。選択肢が増えていく中で、本当に最善の選択は何なの
か。
患者一人で情報を集め、考え、判断するのではなく、病状経過の見通しと治療の選択肢を共有してくれる医療専門家も含め、みんなで話し合って考えるのが一番いいのではないかと考えられるようになった。これが共同意思決定(Shared Decision Making)だ。その選択をすると、どのような未来が待っているのか。
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患者と医療専門家たちが治療の選択肢を共有する
自分自身の価値観を大切にしながら、それぞれの選択肢についてじっくりと話し合う、十分な情報に基づいて考える、それによって納得できる答えが見つかる可能性が高くなる。
治療すれば治る病気の方針決定は簡単だ。しかし、治らない病気や障害とともに、人生の最終段階の近いところを生きている人たちにとって、この「共同意思決定」は納得のできる選択をするために非常に重要なプロセスとなる。
自分の意思が表示できる時、今後、どのように生きていきたいのか、自分で選択をすることができる。しかし、いざというときに自分で意思表示ができない状態になっていた。その時に、自分が考えていた通りの対応をしてもらえるのだろうか?
誰もが不安に思う
「自己決定」も「共同意思決定」も、本人が意思決定に参加できる、という前提に基づいている。では、本人の判断能力が失われてしまった時、どのように本人の思いを担保すればいいのか。そこで出てくるのが事前指示書(Advance Directive)だ。
これは本人が自分の決定内容を文書に書き留めておくもの。自分で意思表示ができなくなったとしても、周囲はその文書に従えばよい、ということになる。
しかし、事前指示書にも問題がある。それは、書かれていることしかわからない、本人の自己決定が最適な情報や見通しに基づいて行われたものかどうかがわからない、ということだ。
例えば「延命措置を希望しない」とある場合、この人にとってはどこまでが延命措置なのか?
究極的に言えばすべての医療は延命のために行われているが、この人にとっての延命治療とは何なのか?「点滴を希望しない」とある場合、数日点滴すれば治る病気であっても、点滴をすべきでないのか?
細かなニュアンスがわからないと、場合によっては、本人の意図しない判断が行われることがある。また、人生は想定外のことが起こるもの。予想通りに経過しなかった場合、当然、そこに事前指示は書かれておらず、結局、現場では判断できないということも。
予想とは経過が異なり、事前指示書に書かれた内容に、こんなはずじゃなかった、やっぱり嫌だ、と思ったとしても、その時点で、文書を書き換える能力が担保されていないと判断されれば、否応なしにその文書に従わされることになる。本来は自分らしく生きるための事前指示書が、その人の希望しない選択につながる危険すらあるのだ。
そこで重要になってくるのが、ACP(アドバンスケアプランニング:AdvanceCare Planning)、いわゆる「人生会議」だ。
誤解されていることが多いが、これは何かを決めておくことを必ずしも目的としていない。
とにかく対話を重ねていく。その対話を通じて、その人の人生観や価値観を理解・共有している人が増えていく。そうなると、自分で判断が難しい状況になっても、周りの人たちが、本人の優先順位や判断基準に基づいて、本人も納得ができる代理意思決定をすることができるはずだ。
〈8月24日号につづく〉
佐々木淳氏
医療法人社団悠翔会(東京都港区) 理事長、診療部長
1998年、筑波大学医学専門学群卒業。
三井記念病院に内科医として勤務。退職後の2006年8月、MRCビルクリニックを開設した。2008年に「悠翔会」に名称を変更し、現在に至る。