意思決定の更新は当然

 

ACP(アドバンスケアプランニング)。プランではなく「プランニング」と敢えて進行形になっているのは、続けられる限り対話を続けよう、というニュアンスが含まれている。

もちろん、あらかじめ決められるのであれば、決めておいてもよい。

 

しかし、その判断は時間の経過とともに変わる。体調が悪化した時、人生が最終段階に近づいてきたとき、当然、気持ちも変化する。「揺らぐ」と表現されることもあるが、新しい情報が入ることで、状況判断が変わることは当然起こる。また、人生、最終段階に近づけば近づくほど、徐々にそこから先の視界も明確になっていく。状況判断も、おのずとよりリアリティを伴うものになっていく。

 

これは「揺らぎ」というよりは、意思決定の更新というべきかもしれない。変化が起こりうるからこそ、対話を続けることが大切なのだ。

 

 

ACPは、医師を中心にみんなが集まって、医師から説明を聞いて、これから先の方針を決めて、それを紙に記録して、場合によっては印鑑を押す、そんなイメージを持っている人が多いかもしれない。

 

しかし、これはACPではありません。

「医師から説明を聞き、それに同意する」これはインフォームド・コンセントだ。

 

そして、本人が決めた内容を文書に残す。もちろん事前に方針を決めてもいいし、文書に何かを書いてもいい。しかし、それはあくまでその時の気持ちのメモに過ぎない。変わることが当然、という前提で、日々の対話を重ねていく。大切なのは、その対話を通じて、その人の優先順位や判断基準を理解することなのだ。

 

だからこそ、人生会議は人生決議であってはならない。

 

もし文書を書いて、それが何物にも優先する、というのであれば、父権主義の時代に医師が問答無用で方針決定していた時と何も変わらない。あくまで本人の本当の気持ちをみんなで考え続けることが大切だ。

 

 

 

変化する気持ちに寄り添い続ける

 

医療介護専門職は、日々のケアの中で、毎回、その人と他愛もない会話をしていると思う。でも、その中で少しずつこれまでの人生のこと、この先にやっておきたいこと、やらなければいけないと思っていることを少しずつ教えてもらう。そんな対話の中から、本人の人となりをみんなで少しずつ理解する。その繰り返し、積み重ねが、少しでも納得のできる選択に近づく唯一の方法なのだと思う。

 

そもそも患者の自己決定も事前指示書も共同意思決定もACPも、すべて欧米から日本に持ち込まれた概念だ。欧米では、もともと自分のことは自分自身で決めるという文化がある。決めごとを書面にして契約書という形で取り交わす習慣もある。また、自分自身で自信をもって選択するにあたって、信頼できる家庭医(GP)と相談できる状況にある。

 

しかし、日本ではもともと、自分だけで自分のことを決めるという文化はない。家族の中で、地域やコミュニティという集団の中で、他人との関係性の中で自分のことを考える。また、その場でスパッと決めずに、流れの中で緩やかになんとなく決まっていく、という合意形成が行われてきた。また、信頼して相談できるかかりつけ医を持たない人も少なくない。

 

そのような状況において、付き合いの浅い「担当医」と話し合って、人生の重大な決断を文書にして残すということに違和感を持つ人も多い。

 

 

人生の最終段階、いざというときに、自分自身で自分の選択を伝えることが難しい状況は少なくない。また、どのような状況が生じるのか、予想が困難なこと、予想外のことが起こる可能性もある。しかし、すべてのシチュエーションを予測して、事前に完全な意思決定やメモを残すことはできない。

 

 

◆◆◆

 

日本人にとって違和感の少ない意思決定の形、その人と「以心伝心」「阿吽の呼吸」ができる私たち。その人にとって「よきに計らう」ことができる私たちであるために、日頃から十分に対話を重ねていくことが本当のケアの基本であり、納得して生き切ることを支えるためにもっとも大切なことなのだと思う。

 

 

 

佐々木淳氏
医療法人社団悠翔会(東京都港区) 理事長、診療部長
1998年、筑波大学医学専門学群卒業。
三井記念病院に内科医として勤務。退職後の2006年8月、MRCビルクリニックを開設した。2008年に「悠翔会」に名称を変更し、現在に至る。

 

 

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