家柄・ステータスの指標である蔵 訪問診療で感じた陰と陽

 

 

 

この項を書いている間にも立派な蔵が残るお宅を訪問診療していました。

 

病床の父親と息子が喧嘩をしています。息子は2棟連なる蔵を指さして「あれを壊して、子どもたちが遊べる庭を作りたい」。父親は「蔵は物置じゃないんだぞ。壊すなんて許さねえ。職人を入れて壁を塗り直して、絶対に残す」と。地方の農村地帯では、蔵をいくつ持っているかが家柄、ステータスの指標で、結婚を決める際にも重要な決定因子の一つでした。それゆえ、親の世代は、これは絶対守らなくてはならぬものなのです。

 

私も仕事で、また旅先でも色々な蔵を見てきました。白壁だけでなく、石造り、赤レンガ、海鼠壁。また、過剰とも思える鏝絵など。これらは蔵の陽の部分です。

 

 

 

そして、ここからが蔵の陰の部分です。

 

訪問診療を始めた年の夏、診療を依頼されて出向いた家は現代の住宅メーカーが建築した現代住宅でした。その応接間で家族と面談となりました。息子さんは60代後半で、既に両親は逝去されているという。患者にあたる方は、息子さんの父の姉、つまり叔母に当たる方なのだそうです。

 

幼少の頃は詳細不明だが、ここ30年ほどは受診歴なく暮らしていた。最近、年齢も90代を超えてかなり衰弱してきたが、病院に連れて行くわけにもいかないのだという。受診不可能や拒否の方を診察させていただくのも、この仕事の常なので御本人や御家族が納得していれば何の問題もない。早速「会わせてください」と言うと、「患者は、この棟にはいないのだ」と言うので、案内をされるがままに、玄関を出て裏庭に回る。

 

そこに現れたのは、昔の母屋、かなり老朽化しているが立派な書院造なのです。しかし、そこに向かうのかと思うと、その脇にある蔵に通されました。

 

閂を外すと扉が両側に開かれ中に光が入ります。研修医の時に見た、あの座敷牢の構造でした。忘れていた、あの風景が甦りました。やはり、老女がこの中で横たわっています。大きな南京錠が外され、私は中に促され入りました。床に畳は敷かれていますが、所々、腐っているのか抜けそうな感じがあり、氷の上を歩くような慎重さが必要でした。そして、強烈な臭い。

 

私は聴診器を患者にあてますが、かなり弱っております。私は悪臭から逃げ出し、蔵の外に出て深呼吸を繰り返します。夫婦は善良そうな2人で私を覗っています。「自分が物心ついた頃から、この状態でして、元気な頃は庭を歩いていました。そのうち、道路まで出て、転んでしまうようなこともあり、鍵をかけざるをえなかったのです」。息子夫婦は、かなり困ったようです。「私の父が亡くなる時に頼むと言われて、どうしたら、いいかわからず今日になってしまいました」と頭を下げてきました。

 

 

 

一週間後、私は死亡診断書に老衰と書いてこの件は終わりました。座敷牢、私は蔵の中で幻を見ていたのかもしれません。

 

 

 

平野 国美(ひらのくによし)
医療法人社団彩黎会 ホームオン・クリニックつくば 理事長/医学博士

1992年に筑波大学を卒業。その後、筑波大学附属病院及び県内の中核病院にて地域医療に携わる。2002年に訪問診療専門クリニック「ホームオン・クリニックつくば」を開設し、翌年に医療法人社団「彩黎会」設立。
20年以上にわたり在宅医療や看取りに従事している。著書「看取りの医者」(小学館)は、11年に大竹しのぶ主演でドラマ化された。

 

 

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