生命を維持していくうえで必要不可欠な「眠り」。だがこの現象は、多くの部分でいまだわからないことばかりだという。たとえば、睡眠中に脳のメンテナンスが行われることは明らか。でも、なぜそれが必須なのかは誰にも説明できていない。睡眠研究の世界的第一人者、柳沢正史先生のチームは、そんな謎を解明すべく、さまざまな手法とアイデアを駆使して研究を進めている。ブレイクスルーの到来は、もう未来の話ではないかもしれない。

 

IIIS 筑波大学
国際統合睡眠医科学研究機構
機構長
柳沢正史先生

 

 

 

 

偶然が導いた睡眠研究

 

 

――先生が睡眠についての研究に携わるようになられたきっかけは、全くの偶然だったそうですね?

1996年、大脳の視床下部に存在する「オレキシン」という神経ペプチドを〝ビギナーズラック〞のような形でたまたま発見したのが始まりです。名前の由来はギリシャ語で「食欲」を意味する「オレキシス」。当初は食欲を司る物質だと思ったんですね。

 

でも後に、オレキシンを作れないようにしたマウスを夜間にモニタリングしていたら、明らかに起きて毛繕い中だったのに、ある瞬間、いきなりベタっと下に落ちて動かなくなっちゃったんです。数秒ほどすると、また突然起きて動き出しました。まるで睡眠発作のようだと思って調べたところ、覚醒から突然レム睡眠に移行して、全身の力が完全に抜ける「レム脱力」の状態になっていたことがわかりました。

 

 

これは、人間でいう「ナルコレプシー」という病気に特有の異常な現象です。ナルコレプシーは、日中に突然強い眠気に襲われたり、意識はあるのに全身の筋肉が弛緩する「情動脱力発作」が起きたりする後天性の病気で、平均して思春期前後の発症が多いです。命に関わる病気ではないですが、自然に寛解することはなく、現時点では対症療法でしのぎつつ一生付き合っていくしかありません。

 

要するに、この時、脳内のオレキシン細胞が欠如するとナルコレプシーになる――逆に言うと、オレキシンは覚醒と睡眠を正しく維持するために必須の脳内物質――だということがわかったんですね。これを機に、睡眠研究に入っていきました。

 

 

 

直感と忍耐(と運)で頂へ

 

 

――現在はナルコレプシーの治療薬のほか、自宅などで手軽にできる睡眠検査キットの開発にも取り組まれていますね。

オレキシンそのものを末梢で注射しても、血液脳関門という厄介なバリア機構に引っかかって脳には届かないので、オレキシンよりも分子量が小さく、かつ「鍵」であるオレキシンに対して「鍵穴」の関係にある「オレキシン受容体」にオレキシンと同様に作用する「オレキシン受容体作動薬」の開発を続けています。我々以外では武田薬品工業が特に開発に力を入れており、あわよくばあと数年で臨床で使えるようになります。そうなれば、ナルコレプシーの患者さんにとっては福音ですね。

 

睡眠検査では脳波を測るのですが、現在の標準検査である「終夜睡眠ポリグラフ」は、基本的に入院して頭のあちこちにセンサーや電極をつけたまま寝る必要があります。でも、慣れない場所でこんな状態ではちゃんと眠れないので、本来の睡眠は測れませんよね。実際、ただでさえ寝られない不眠症の人は検査対象になりません。

 

 

睡眠ポリグラフ検査を実施している機関が全国で300ヵ所ぐらいしかなく全然足りないこと、また手作業で生データをグラフに移したり電極を装着したりするのに時間がかかって大変なことも問題です。そこで、自宅や介護施設などで手軽に脳波レベルの睡眠測定ができるInSomnograf(インソムノグラフ)というIoTデバイスを開発しました。装着感はほぼないのに、精度は実際の睡眠ポリグラフとほぼ同じです。

 

InSomnograf : 紙の印刷電極を額と両耳の後ろ3ヵ所に貼って眠るだけで脳波や筋電図などのデータが取れ、
それを基にAIが解析した睡眠の質や睡眠障害のリスクなどについてのレポートを受け取れる
(提供:株式会社S’UIMIN)

 

 

 

〝眠気〞の正体はリン酸化!?

 

 

――それはぜひ試してみたい!先生が前回「睡眠の謎」の一つと仰った「睡眠の制御」についてはどうですか?〝眠気〞の正体とはズバリ何なのでしょう。

そこはまだまだ緒に就いたばかりです。眠気の仕組みは、いわば「ししおどし」。筒が上を向いている状態が覚醒で、十数時間かけて〝水〞(眠気のもとである「睡眠要求」) が徐々に徐々に溜まっていき、あるところでいきなりポンと傾いて睡眠状態になります。この切り替わりにかかる時間は、1秒程度。本物のししおどしはその後数秒で水が流れて戻っちゃいますけど、人間の場合は78時間かけてゆっくり流れ、流れ切ると睡眠要求が解消されて、筒がまた上向きになり覚醒に戻ります。

 

問題は、この〝水〞が何だかわからないし、水が満杯になったということが覚醒・睡眠の切り替えスイッチにあたるししおどしの支点にどう伝達されるのかも、そもそも脳が覚醒をどうモニタリングしているのかもわからないことです。そこで、仮説を立てるのをやめて、ランダムな突然変異を導入した約8000匹のマウスの脳波と筋電図を測定し、睡眠のおかしい奴を探すことにしました。その結果見つかったのが、普通のマウスよりたくさん寝ているのにまだ眠い、「スリーピー」という家系です。

 

 

ここから先はテクニカルになるんですが、調べていくと、スリーピーマウスには、細胞内の特定のタンパク質の特定の部位をリン酸化する酵素SIK3の遺伝子に変異があることがわかりました。脳の中に何千種類とあるタンパク質のうちの約80種類でリン酸化が亢進していることに気づいたんですね。いま、「脳のシナプスにある複数のタンパク質群のリン酸化の状態が〝眠気〞の正体かもしれない」という仮説を立てるところまできています。

 

でも、じゃあこれでししおどしの原理が全部わかったかと言われると、まだほど遠いです。藤井聡太君が「森林限界の手前」って名言を残しましたけど、それと同じで頂上が全然見えない。これから研究を続けていきたいところです。

 

聞き手・文 八木純子

 

 

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