マイナンバーの普及率が2022年10月の時点で50%近くにもなった。
今後、健康保険証との一体化で100%普及も近いだろう。マイナンバーは国民一人ひとりを識別するための、個人の生涯を通じて不変の国民共通番号である。このマイナンバーの検討は1970年代に、税と社会保障の中で検討が始まった。しかし国民総背番号制に対する国民の反発が強く見送られた。

 

その後、2007年の第一次安倍内閣のときに消えた年金記録問題が勃発する。年金は厚生年金(会社員)、共済年金(公務員)、国民年金(個人事業主)などそれぞれの年金ごとに異なる個人番号で管理していた。この年金記録を基礎年金番号に統合した際に、古い番号のままで残っていた5000万件の年金記録が、本人確認ができず持ち主不明のまま残ったという問題だ。本人確認ができなかった理由は、例えば「転職のたびに新しい年金手帳が発行され、新しい番号になった」、「結婚して名前が変わった」、「結婚前の旧姓の記録が残ったままだった」、「氏名の読み方や生年月日が間違えられていた」など。このため、納めたはずの年金記録が残っていないということが多数発覚し、ずさんな年金記録の管理の実態が明らかになった。

このため生涯に渡り個人を識別するマイナンバーの必要性が浮かび上った。日本ではこのように消えた年金記録問題が、マイナンバー制度導入の後押しとなった。

 

しかしヨーロッパでは、政府がマイナンバー制度を導入しようと試みたが、失敗した国がいくつもある。各国の事情を見ていこう。英国では第二次世界大戦中の1939年に国民登録法に基づき、身分証明書として利用できる国民共通番号が導入された。しかし戦後、個人の身元を証明する行為は強制されるべきでないとして53年に国民登録法は廃止される。

 

ドイツでも70年代に行政事務の効率化のために横断的な国民番号制を導入しようとした。しかし国民のプライバシー侵害の反対にあい、実現できなかった。さらに83年に汎用的な国民番号は違憲であるとの判決までも出て、マイナンバーは導入されていない。

 

フランスでは70年代に、すでに導入されていた社会保障番号をもとにマイナンバーを導入しようとした。しかしやはり国民の反対によりマイナンバーを撤回した。このようにヨーロッパの各国では、マイナンバー制度は国民の反対にあって、未だに導入されていない国が多い。
こうした中、我が国だけが、先進各国の失敗があったにもかかわらず、マイナンバー導入に成功した。消えた年金記録問題の「けがの功名」と言うしかないだろう。

 

 

 

武藤正樹氏(むとう まさき) 社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ相談役

1974年新潟大学医学部卒業、国立横浜病院にて外科医師として勤務。同病院在籍中86年~88年までニューヨーク州立大学家庭医療学科に留学。94年国立医療・病院管理研究所医療政策部長。95年国立長野病院副院長。2006年より国際医療福祉大学三田病院副院長・国際医療福祉大学大学院教授、国際医療福祉総合研究所長。政府委員等医療計画見直し等検討会座長(厚労省)、介護サービス質の評価のあり方に係わる検討委員会委員長(厚労省)、中医協調査専門組織・入院医療等の調査・評価分科会座長、規制改革推進会議医療介護WG専門委員(内閣府)

 

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