ウィズコロナ時代へ進化を/医療法人社団 悠翔会 佐々木淳氏【連載第31回】
94年を生きた女性が旅立った。 施設に持ち込まれた新型コロナウイルスに感染。10日間の入院で完全な寝たきり、摂食障害となり、体重は8キロ減。これ以上のケアはできないという施設を退所。経口摂取を再開できればとケアの力を結集するも、彼女の衰弱のベクトルが上向くことはなかった。
もしコロナに感染したときに、自宅や施設でケアが継続できていたら。この2年間、感染した在宅高齢者の退院後の姿を見ながら、幾度となく、そんなことを感じてきた。
コロナ入院の多くは、医療ニーズ(感染による全身状態の悪化) というよりは、感染者のケアを継続できない(しない)という周囲の都合。そして、この図式はこのコロナ禍に始まったものではない。
フレイル・要介護の高齢者は、文字通り脆弱な存在。何もなければ、穏やかな生活を送ることはできる。
しかし、急性感染症や骨折のような大きなストレスがかかると一気に衰弱し、死亡のリスクも高い。そして、その治療のための「入院」そのものが、高齢者の生きる力を奪ってしまうことも少なくない。
例えば、入院中にせん妄を起こすと平均で、MMSE(30点満点の認知症スコア)5点分の認知機能が低下する(下図)。全く認知機能に問題がなかった人が、重度認知症で帰ってくることも珍しくない。

高齢者の2年間の加齢に伴う認知機能低下をMMSEで評価。左は2年間の間に入院を経験しなかった高齢者、中央は入院を経験したが、入院中にせん妄を起こさなかった高齢者、右は入院を経験し、入院中にせん妄を起こした高齢者。認知機能低下の程度が著しいことがよくわかる。
失われるのは認知機能だけではない。10日間の入院で7年分の加齢に匹敵する骨格筋が消失する、そんな報告もある。 これらは「入院関連機能障害」として、いま広く知られている。
高齢者は即入院の無理解が「納得のできる選択」を阻む
フレイル・要介護の高齢者が急性増悪したらどうするか。
もちろん入院したほうが病気の治癒率は高い。しかし、入院に伴う不利益も考慮しなければならない。想定される経過のイメージを共有した上で、本人や家族の人生における優先順位、在宅や施設でのケア力などを総合的に勘案し、もっとも納得度の高い治療方針を選択する(できる)ことが重要だ。
例えば私たちは、肺炎と臨床診断した在宅患者の約8割を自宅や施設で治療している。多くの方が回復されるが、亡くなる方もいる。その中には、入院を選択したほうがよかった、という人もいるかもしれない。でも、どの選択が正しかったのか、それは誰にもわからない。だからこそ、その意思決定のプロセスにおける「納得」が重要になる。
一昨年の4月以来のコロナ対応において、医師として無力感、脱力感を感じることが多かった。その理由は明らかだ。本人・家族にとって「納得のできる選択ができない」ことだ。
納得のできる選択を阻むもの。
それは「法定感染症」という規定と行政による強制力、新型コロナに対する偏見と無理解、在宅医療・介護の現場における対応力の欠如、そして要介護高齢者がコロナ病床に入院すると何が起こるのかという想像力の欠如だ。
もはや新型コロナは未知の感染症ではない。ワクチン接種は確実に感染・重症化のリスクを下げる。感染しても重症化を防ぐことができる治療薬もある。そして、重症化したとしても、高齢者の場合、その多くは基礎疾患の増悪によるものだ。必要とされるのは感染症専門診療ではなく高齢者総合診療だ。
いつまでも自宅や施設で「コロナはみられない」のままでいいのだろうか。 「ハイリスクの高齢者は入院したほうが安全」だったのは、ワクチンがない、治療薬がない時代の話だ。
「ハイリスクの高齢者は家族・介護者を含めワクチンをきちんと接種し、感染してもコロナ肺炎を発症していなければ、なるべく自宅や施設で対応したほうが安全」なのではないだろうか。
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入院リスクの想像力を
そろそろ「高齢者は原則入院」は終わりにすべきではないだろうか。入院の適応は、ほかの疾患と同じように、本人の意向や周囲の状況、そして本人にとっての治療のアウトカムを意識しながら個々に判断することを原則とすべきだ。
コロナにも対応できる、そう自信をもって答えてくれる事業所や施設は増えてきている。
そうでないところも、そろそろウィズコロナ時代に求められる当たり前の知識とスキルを身に着けるべきだろう。
佐々木淳氏 医療法人社団悠翔会(東京都港区) 理事長、診療部長 1998年、筑波大学医学専門学群卒業。 三井記念病院に内科医として勤務。退職後の2006年8月、MRCビルクリニックを開設した。2008年に「悠翔会」に名称を変更し、現在に至る。