【対談 介護DXの未来】ノバケア 岡本氏 × 産総研・人間拡張研究センター 持丸氏
点在する知見、体系化し継承へ プラットフォーム構築に現場視点
介護事業各社は、テクノロジーの導入とそれによるDXの在り方を模索している。今後加速するデータに基づくケアは、最終的に利用者のQOL向上を実現できるのか。そして、データとして得た知識、知見を社会的にどう運用し、より良い形で未来に継承していくべきか。ノバケア(東京都港区)の岡本茂雄CEOと国立研究開発法人産業技術総合研究所・人間拡張研究センター(千葉県柏市)の持丸正明研究センター長に語ってもらった。
ヒトと社会に進化の差
岡本 人間拡張研究センターで目指しているのは、どんなことでしょう。

ノバケア 岡本茂雄CEO
持丸 当センターのコンセプトは、「人に寄り添い、人の能力を高める」こと。これは、人間の持つ機能が損なわれたときに、その部分をテクノロジーで補い強化するということです。そして、最終的には人間そのものが持つバイオロジカルな力も強化することを目指しています。

産業技術総合研究所・人間拡張研究センター
持丸正明研究センター長
岡本 介護分野は未開の荒野です。例えば、排泄ケア1つとっても、進化のチャンスがある。排泄を察知するセンサーなどもあるが、そもそも利用者が求めるケアは、おむつで排泄しないこと。真のニーズを分析、把握した上でテック開発を行うことが重要で、これを実現できるのが人間拡張研究センターの取り組みだと思う。
センターでは、具体的にどういった研究を進めているのでしょうか。
持丸 介護される人、介護する人をパワーアップすることに加えて、業務スキルの拡張なども研究しています。そのためにロボットや見守り機器、ウェアラブル機器の開発や、現場とのマッチング、導入支援などを行っています。
ロボット導入にあたり、意識して見なければならない観点がいくつかあります。まず1つは、「導入によりサービスの質が下がらないか」ということ。次に、「ロボットの調整や保守の手間が増えるなど、職員に負担がかからないか」ということ。そして、「企業経営にどういった影響を与えるか」という点も考えなければなりません。
特に経営的側面に関していえば、飲食や介護などのサービス業は、ロボットの減価償却が進まないという課題がある。例えば、在庫を持てる製造業では、「空き時間に稼働して商品を作りためておこう」といったことができ、ロボットを24時間均等に稼働させることが可能だ。一方、介護では「ロボットの手が空いている今のうちにおむつ交換をしておこう」ができない。食事や排泄、移乗など、特定の状況にロボットを導入しても、1日のうちのロボットの稼働時間にムラができてしまう。
岡本 サービス業特有の課題があるのですね。
持丸 従って、テック導入時に業務全体のプロセスを見直すことが必要で、私はこの見直しこそがDXだと考えています。当センターでは、センサーで介護職員の1日の動きを分刻みで記録、推定した上で、テクノロジー導入後の最適な業務プロセスをシミュレーションし構築する取り組みを行っています。こうして初めて、サービスの質が下がらない、従業員の負担が軽減する、人手が削減できた分ロボットの減価償却も進む導入方法が分かる。
岡本 今の話には、3つ重要な論点が含まれています。まず、テクノロジー導入にあたり、サービスの質がないがしろにされてはならないという点。
もう1つは、介護事業者自身が、あるべきサービスのあり方を考え主体的に構築していかなければならないということ。事業者が自ら考えず、厚生労働省に事業の進め方を聞きに行くといったようなことでは、現場のリアルな変革は起きないでしょう。
そして、介護保険の枠組み内で、どのようなテクノロジーを導入し、それによりどのように経営収支を向上できるのかシミュレーションする方法を体系化する必要もあるということ。
〝経験と勘〞定量的に把握
持丸 サービスの質の話でいえば、「質を科学的にとらえる」研究を進めています。ここで重要なのが、従業員満足度と顧客満足度が上がれば、企業の収益性が上がるという「サービスプロフィットチェーン理論」。介護などのサービス業では、職員が直接顧客と接点を持つため、利用者の満足度と、スタッフの満足度をどう高めていくかがポイントとなる。当センターでは、その満足度をミニマムなセンサーで計測し、得られた情報から利用者や職員の満足度、幸福度を推定することを試みています。
そしてもう1つ、サービスの質を評価する上で、「本質機能」と「心理的評価」という枠組みがあります。サービス自体の本質機能に加え、顧客の事前期待値を超えるサプライズ的要素がサービスに含まれる場合、顧客の感覚的な満足度は大幅に向上するといわれる。産総研では、この満足度、すなわち心理的評価の指標化を目指しているところです。
岡本 1つ言いたいのは、介護は生活を支えるサービスである以上、利用者の心理的な評価も本質機能に含まれるということです。そうした心理的評価の部分を「個別ケア」として、客観化、数値化できないとする向きもあるが、そこに挑むべきだ。
持丸 幸福度、満足度を、ある程度定量的に評価できるようになる必要があります。フロアマネジャーの「経験と勘」で現場の議論が終わってしまうと、改善が進まない。介護における属人的な要素を否定するわけではないが、この「経験と勘」に科学的に反論ができなければ、サービス向上に向けたPDCAを回すことができなくなる。
岡本 「経験と勘」の部分を一定の指標で観測できるようにし、職人芸の枠にとどめないことが重要でしょう。そしてサービスのあり方に加え、マネジメントやリスク管理、労務管理なども、一緒に改善していくことが必要だと感じる。
持丸 そこで大切になるのが、データです。現場がどのような場面でどう判断し、マネジメントしたのかなど、職員の脳内にたまっている一つひとつの小さな判断や知識を、データとして体系化し、社会化し、継承していく必要がある。
特に日本の介護業界では個々の中小零細事業者が分散的に知識やノウハウを保有しており、知の集合体ができていない状況。知識をデータとして整理した上で、A I などで評価分析し、新たに判明した知識を事業者に返すようなプラットフォーマーが必要です。
岡本 データを蓄積し、分析、運用していくにしても、蓄積するに値するデータを選び出すデータサイエンティストたるべき存在、機能が求められます。
持丸 データの取捨選択は介護事業者側が行うことであって、プラットフォーマーにはできません。介護のスペシャリストと技術研究者は協業すべきで、それには研究者側が基礎研究にとどまらず、実際の現場に出ていく必要がある。
岡本 同時に、介護現場の職員も研究機関に何らかの形で出向き、継続的な交流の場を持つ必要があります。それにより、ようやく双方向での会話が生まれ、有益なデータの集積と、現場の知見に基づいたデータ運用ができるようになる。
持丸 そしてさらなる課題は、いかにスクリーニングして蓄積したデータを社会で運用し、ビジネスに結び付けていくかということです。データ運用にはある程度の投資が必要で、一事業者が行うにはハードルが高い。やはりプラットフォーマーの存在が重要でしょう。
岡本 介護先進国である日本には、介護に関する豊富なデータがあるといえるでしょう。介護内容の膨大な記録など、米国スタンフォード大学の研究者もデータの宝庫だと言っていた。
持丸 個人的には、介護領域におけるプラットフォーム構築、データ運用に、政策的な投資を行うべきと考えています。あと10年もすれば、少子高齢化に本格的に直面する中国などのアジア各国が介護分野への投資を強め、台頭してくる。つまりここから10年間が、日本のみが他国に先駆け、介護政策に本腰を入れて取り組める最後のチャンスということです。
「可視化」で人間の理解力拡張
岡本 最後に、データ運用、DXに対する後ろ向きな考えを持つ人たちもいる現状をどう考えますか。
持丸 DXとは、人をテクノロジーに「置き換える」ことではなく、「人間が理解できる範囲を拡張し、人間を支える」ということ。ここを誤解する人が多い。利用者情報を数値で管理するのではなく、利用者の状況を数値で〝可視化〞し、職員が利用者の状況をより深く理解できるよう支援することを目的とする。ここは重要なポイントです。
岡本 理解できる情報の深さに加え、1人の人間が把握できる情報の量も拡張できるのでしょうか。
持丸 状況を把握できる利用者の数は増えるでしょう。元々、人間が把握できる情報量には限りがある。
生物学的な話になりますが、人類はその5万年の歴史上ほとんどの時を、一生に150人ほどとしか接しないような環境で過ごしてきました。それがここ数年、SNSなどを通じて一生のうちに出会う人間の数が急激に増えている。そして人間の生物的な能力の進化に比較して、社会や文化の進化のペースは早い。この生来の人間の能力と社会の変化の差を何とかしたいというのが、人間拡張の潜在的な目的ともいえるでしょう。