2025年3月12日号 15面 掲載
【書評】 自然死(老衰)で逝くということ/評:浅川澄一氏
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三浦耕吉郎著
新曜社
2,420円(税込)

グループホームで納得の看取り
100歳間近の重度認知症の父親がグループホームで看取られる様子を息子が記した介護記録である。息子は70歳近い社会学者。研究者として、父の死後も介護スタッフから話を聞きだし、そのやり取りが克明に綴られる。
情にとらわれがちな家族視点に学者の目が入ることで客観性が保たれ、普遍性も提起できた。認知症の人の看取りの良いモデル例となりそうだ。
著者と2人の姉の家族たちは、父親が7年間も入居してきたグループホームでの生活の延長として看取りを望み、病院での検査や点滴を断る。書名どおりの自然死、老衰死を目指し実現させた。
開設以来14年経つグループホームだが、看取りは初めて。それもあり家族の思いが全面に出てくる。最期を迎える症状を目の前にして、家族は「入院という選択肢を遠ざけようとした」。この強い意志が、自然死に向かって大きく作用する。著者は「医療との距離化」という用語を再三使う。
家族の意志に加えて、グループホームのスタッフの「思い」を著者は強調する。「人の気配や台所の音や料理の匂いといった生活感があふれる雰囲気のニギヤカさ」を著者は讃える。医療より暮らしぶりを優先させ、何よりも利用者の気持ちを見極めようというケアの方針だ。最期の時を迎えて、いつもの入浴を提案する。徘徊と呼ばれる利用者の自由な外出に、後ろから付いて見守る姿勢もその表れだ。
暮らしに伴奏する介護である。このグループホームは、千葉県流山市のNPO法人、「流山ユー・アイネット」が運営する「わたしの家」。同法人は車公害反対の市民運動を契機に結成された地域ボランティアである。住民、利用者に寄り添う気持ちが強く、介護保険サービスを手掛けても、その心意気が見事に実践されているようだ。
それだけに、本文中で「看取りよりも治療を優先させる主治医」が出てくるのは意外だ。そういえば、終末期なのに在宅療養支援診療所からの訪問医師の姿がほとんど見えない。代わって訪問看護師が家族の言葉を受け止める。「介護的知識と看護的知識が独特に融合された」というのが著者の評価だ。
自然な看取りに熱心な中村仁一、石飛幸三、長尾和宏さんなどの医師たちの言葉が引用され、著者の看取りへの思考軌跡もたどりやすい。
評:ジャーナリスト 浅川澄一氏








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