遅れる「安楽死」への対応 同性婚に次ぐ「世界標準」なのに/浅川澄一氏
介護保険制度では「自立支援」が強調される割に、「看取り」の在り方はあまり論議されない。先々の死を想定しない高齢者ケアはおかしい。QOL(生活の質)の延長線上にQOD(死の質)があるはず。昨今、最も重視される「本人本位」の考え方によれば、尊厳死や安楽死も視野に含めるべきだろう。
延命治療を断る尊厳死は医療現場で増えてきた。尊厳死法の制定を待たずとも、リビングウイル(生前の意思表明)を尊重、理解する空気が浸透してきたからだ。だが、死の日時を自己決定できる安楽死には、まだ抵抗が強い。
海外ではどうか。普通の市民生活の中で安楽死がどのように受け止められているのか。その実態が描いた映画が上映中だ。フランス映画の「すべてうまくいきますように」である。
脳卒中で体の自由を失った84歳の元実業家がスイスに向かい安楽死を求める実話である。耐え難い苦痛はなく冗談も飛ばせる。
医師からの致死薬の服用や点滴での自殺幇助がスイスでは合法で、EU諸国から多くの志願者が訪れる。だが、フランスでは違法。そのため父を手助けする娘姉妹が警察官の尋問を受けるシーンもありハラハラさせる。両国の制度の違いを浮き彫りにし、良く出来た学習材料でもある。
2005年に定めたレオネッティ法という尊厳死法はあるが、安楽死法がないのがフランス。それでも娘たちは父親の自己決定を受け入れるのが、個人主義に徹する欧州ならではだろう。
10年前に公開された「母の身終い」でも、フランスからスイスに息子の車で向かう母親の姿が描かれた。末期がんの母親の最後の望み、安楽死を放蕩息子が叶える。
映画監督のゴダールがスイスの自宅で安楽死を遂げた。昨年9月のことだ。「病でなく、人生に疲れたから」と多くのメディアは伝えた。決して終末期ではなかった。スイス人はたいして驚かなかったという。自己決定の選択肢として広く国民に周知されているからだろう。
フランスの元首相の母親が、92歳の誕生祝いの最中に安楽死を宣言するのは「92歳のパリジェンヌ」。2015年に制作され翌年日本で公開された。
米英合作の「ブラックバード」は、安楽死を決めたALS患者の母親が家族を集めてのお別れ会が舞台だ。2019年に制作され、スーザン・サランドンが母親役だった。
これらの映画はいずれも、安楽死そのものがテーマである。日常生活でこうした光景が珍しくないから取り上げられる。法制度として安楽死が確立されているのは、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、コロンビア。そして、一昨年3月にスペイン、11月にニュージーランドが加わった。
スペインのサンチェス首相は「本日、我々はより人道的で公正かつ自由な国になった。社会が広く要求した安楽死法がやっと現実になった」とSNSに投稿した。自殺を禁じるカソリック国での首相談話だけに胸を打つ。
上記の国々では、医師が注射などで希望者の命を絶つ方法と自殺幇助の双方が認められる。米国のオレゴン州など9州やスイスなどでは自殺幇助だけが合法化されている。どちらも広義の安楽死である。
フランスでは、安楽死論議を深める国民対話集会が近々開かれ、安楽死容認に向かいそうだ。21年の世論調査では90%以上が賛同している。
こうして世界では、安楽死合法化の大きなうねりが起きている。この動きは昨今話題の同性婚の流れと軌を一にしている。
世界で初めて安楽死法と同性婚法を同じ国会で2001年に可決したのはオランダである。長期政権だった中道右派政党のCDUが94年選挙で敗れ、労働党首を首班とする連立政権が2002年まで続いた。その期間に懸案の両法が成立した。
同性婚は、今や33の国と地域で認められている。G7の先進国で法制化していないのは日本だけ。安楽死法の手前の尊厳死法は、フランスやイタリアのほか韓国、台湾のアジアでも法制化された。同性婚も安楽死も個人の自己決定を重視し、人権問題へと議論が及び「世界標準」に近付いてきた。日本は置き去りになりそうだ。
浅川 澄一 氏
ジャーナリスト 元日本経済新聞編集委員
1971年、慶応義塾大学経済学部卒業後に、日本経済新聞社に入社。流通企業、サービス産業、ファッションビジネスなどを担当。1987年11月に「日経トレンディ」を創刊、初代編集長。1998年から編集委員。主な著書に「あなたが始めるケア付き住宅―新制度を活用したニュー介護ビジネス」(雲母書房)、「これこそ欲しい介護サービス」(日本経済新聞社)などがある。