AIに代替されない医療とは?/医療法人社団 悠翔会 佐々木淳氏【連載第45回】

2023年5月26日

 

 

 

医師を凌駕する診断力

 

AI(人工知能)のChatGPTが話題だ。昨年11月末にプロトタイプがリリースされてから、わずか2ヵ月で全世界で1億ユーザーを獲得した。自然な日本語で、幅広い分野の質問に詳細な回答を生成できることから、私含め読者のみなさんの中にも既に活用している方も少なくないだろう。そして、その高い能力はおそらく医療介護領域でも発揮されるはずだ。

 

 

医療分野におけるAIは画像認識(眼底や病理、内視鏡、放射線など)の領域では、加速度的に精度が上がっていた。人間の医師の診断力を凌駕しつつある。実際、AIをアシスタントとして活用している現場も増えている。

 

問診に基づく診断支援機能がエキスパートシステム(ChatGPTのような質問内容に応じて学習してきた情報を用いて回答する大規模言語モデルではなく、チェックリストやフローチャートのような診断モデル)として実装された電子カルテもある。これらは医師の経験の偏りによる診断のばらつきを補正し、見落としをなくすことで診断精度を高めている。

 

いずれにしても、いずれAIの診断力が自分たちの能力を超えていくことは多くの医師にとって想定の範囲内だった。しかし、多くの医師は、それでも人間の医師には存在理由があると考えている。医療の目的は患者の苦悩を癒すこと。診断や治療はそのための手段にすぎない。 無味乾燥なテクノロジーは、医師の仕事を補完することはできても、置換することはできない。私自身もそう思っていた。

 

 

しかし、この認識は必ずしも正しくないかもしれない。

195件の患者の質問に対して、人間の医師とAI(ChatGPT)のそれぞれの回答を比較すると「質」と「共感力」、その両方でChatGPTが人間の医師に圧勝したのだ。

 

実はこの結果に驚きはなかった。

すでにChatGPTを使っている方は実感していると思うが、大規模言語モデルのAIは、言葉から感知できる感情に配慮したやりとりがとても上手だ。

 

一方で医師のコミュニケーションは一言でいえば少し雑だ。その言葉が患者にどのような影響を及ぼすのか、十分に考慮したとは思えない発言に出くわすこともある。患者との対話において自らの感情をむき出しにする医師も少なくない。

 

 

高度なコミュニケーション力に加え、画像認識力、そして数理的推論においても人間を突き放すAIに対し、私たち医師のこれからの存在意義は何なのか。

 

私は2つあると思う。

 

1つは「言語化できない患者の思いをキャッチできること」。
A I のChatは、入力された言語的情報に基づいて判断を行う。しかし、人間のコミュニケーションにおいて、言語的なものが担う割合は意外なほどに小さい。メラビアンの法則によれば、コミュニケーションの38%が聴覚的情報、55%が視覚的情報に依存し、言語的情報のウェイトはわずか7 % にすぎない。

 

すでに一部のAIは聴覚的、視覚的情報から相手の精神状態や医師との対話をどのような感情で受け入れているかを評価する力を持ちつつある。しかし、私はカメラやマイクなどのセンサーだけではキャッチできない患者の「バイブレーション」は確実に存在すると思う。

 

 

出典に著者追記

 

 

 

一人ひとりの患者に真摯に向き合い、五感を駆使してそれを感じ取ることができるなら、人間の医者はこれからも患者に必要とされ続けるのかもしれない。

 

同時に、患者はちょっとした目線や声色から自分への関心の程度を測っていることを医師は忘れてなはならない。患者の言語化できない思いを汲み取る以前に、患者に不安や怒りを感じさせる非言語コミュニケーションをしていないか、振り返るべきだ。少なくとも、モニタの文字メッセージの方がましだと思われないように。

 

 

 

原点は「患者とともにある」こと 真摯に向き合い五感でケアを

 

もう1つは「手当てができること」。
臨床は、病床に臨むと書く。その原点は「患者に何かをする(Doing)」のではなく、「患者とともにある(Being)」ということにあったはずだ。

 

手を使って身体を丁寧に触診する、痛みのある部位に手を添える、手を握って声をかける…「手当てをする」というのは、何らかの治療をするという意味に加えて、手を当てるということそのものの重要性を示しているようにも思う。

 

前述のコミュニケーションにもつながるが、手は患者のバイブレーションを感じるための私たちのセンサーであり、患者に想いを伝え、エネルギーを送るためのコネクタでもある。

患者の観察者である以前に、一人の人間として、限りあるいのちを最期まで生き切れるように支援していく。これは在宅医療に止まらない、医療のアートとしての大切な部分であるはずだ。

 

 

AIやロボティクスは将来、言葉にならない患者の思いをキャッチする能力や、人間の体温や思いを伝える機能をも獲得していくことになるのかもしれない。

 

その時に医者に何ができるのか。

 

それは、テクノロジーを超える神的な診断や治療の技術なのか、あるいは診断や技術以外のところにあるのか。

 

手塚治虫は40年前に、天才外科医ブラックジャックとスーパー医療システム(AI)であるHALの対峙を描いている。自らを病気と診断しブラックジャックに治療を求めるHAL。互いに医師としてのリスペクトを示す姿は、未来の医師と医療AIの関係性を示唆しているのか。

 

その時、医師以外の医療介護専門職の仕事も、その中身は大きく変化していくはずだ。看護、介護、リハビリの「手を使う部分」は変わらないかもしれないが、介護保険サービスを組み合わせるだけのケアプランは人間の仕事ではなくなるのかもしれない。

 

しかし、それは専門職にとっては、機械に仕事を取られるというより、人間にしかできない仕事に専念できるということでもある。それによって、より多くの人に、より少ない負担でケアを提供できるようになる可能性もある。

 

医療過疎地域の課題解決の一助にもなるかもしれない。実際、医師へのアクセスが制限された国々では既に医療AIは普通の選択肢として存在しているし、看護師がアプリを使用してケアを提供している地域もある。先進国でも、例えば英国NHSは医療AIアプリによる自己診断・セルフケアを推奨し始めている。

 

 

AIの想像を超える進化のスピードを目の当たりにしながら、いままさに「未来」を生きていることを実感している。

 

 

 

佐々木淳氏
医療法人社団悠翔会(東京都港区) 理事長、診療部長
1998年、筑波大学医学専門学群卒業。
三井記念病院に内科医として勤務。退職後の2006年8月、MRCビルクリニックを開設した。2008年に「悠翔会」に名称を変更し、現在に至る。

 

 

 

この記事はいかがでしたか?
  • 大変参考になった
  • 参考になった
  • 普通



<スポンサー広告>