難病への理解深めたい 特定非営利活動法人ALDの未来を考える会 本間りえさん【後編】

2022年4月29日

難病や障害への理解を促す啓発活動に力を注ぐ本間りえさん。 26年前、6歳で遺伝性の神経疾患「副腎白質ジストロフィー(ALD)」を発症し、自力では身体を動かせない息子の光太郎さんを在宅でケアしながら、講演などで全国を飛び回る。

 

今年2月1日には、重症心身障害児(者)多機能型通所事業所「うさぎのみみ」(東京都西東京市)も開設した。一つまた一つと精力的に新たな挑戦を重ねる本間さんだが、どん底を経験したからこそ、いまの自分があるという。

 

 

 

 

 

気軽に立ち寄れる場所に

 

――「うさぎのみみ」オープンおめでとうございます。これからどんな場所になるのでしょうか?

 

0〜6歳の未就学児の発達支援と18歳以上の成人の生活介護が柱です。平日と祝祭日が営業日で土日はお休み。現在定員は1日5名ですが、将来的には利用登録を30名まで増やしたいと思っています。

 

曜日ごとのプログラムは一通りありますが、事業所にありがちな「時間内に決められたことだけやる」形ではなく、なるべく普段の生活らしく、自然にフレキシブルに活動していくつもりです。籠をぶらさげて「ニンジンちょうだい」って近所に買い物に行ったり、天気が悪いからお出かけの代わりにぐちゃぐちゃになって粘土遊びしたり、みたいな。

 

障害によって部屋を分けたりせず、一つの空間でみんなを見渡せるようにしています。そこでそれぞれが好き勝手なことをしていていいと思うんです。大人と未就学児が触れ合える施設って珍しいんですよ。

 

 

ママたちにも元気になって欲しい。私の時代では難しかったけれど、日中のわずかな間でも子どもたちを預けて、その間に洗濯したりネイルに行ったりする時間ができればと思います。ママのお話し会もやりたいです。

 

孤立する人を作らないことが大事ですので、誰でもふらっと寄れるような場所にしたいんです。

 

 

「みんな『うさぎのみみ』へ来て!サポーターズになって!」と本間さん(本人提供)

 

 

 

――光太郎さんも3月から「うさぎのみみ」に通われていますね。でもご自宅でのケアもとても充実しているようです。

 

光太郎は胃ろうから食事を摂りますが、イチゴや生クリームなどは口で味わうこともできます。果物を毎日欠かさずスロージューサーで搾り、朝昼はこれに完全栄養食をプラス。ヤクルト1000や甘酒、ココアにマヌカハニーを入れたものなども飲みます。夜はミキサーにかけた普通食です。

 

今日は家で映画を観よう!という時にはピザをミキサーにかけますし、20歳の誕生日にはワインも胃ろうから注入しました。全然酔わなかったですよ。夫と私は毎日晩酌しますが、両親に似て彼もお酒が強いみたい(笑)。

 

 

光太郎が心地良く過ごせて常に様子が見られるように、リビングをオープンスペースにして中心にベッドを置き、音楽を流し続けています。また、朝起きてから寝るまでの生活メモを作り、交代で来てくれるヘルパーさんなども含めみんなと共有しています。

 

光太郎はてんかんの発作もあるので、24時間細やかなケアが必要です。全身を他動的にクロールみたいに動かす「ブレインウェーブ」というリハビリ訓練を毎週行っており、抱き上げてクッションの上にうつぶせに寝かせ、ネブライザーで吸入するのも日課です。42キロの子を日に何度も抱き抱えるのはなかなか大変。でも光太郎のQOLには代えられません。

 

 

 

つなぐ、いのちの縁

 

――光太郎さんをはじめ患者や家族の方々のために日々頑張る本間さんですが、自分を責めてしまい心身ともにボロボロだった時期もあったとか。

 

ALDは母親がキャリアとなる遺伝的疾患ですので、お母さん方はみんな自分を責めてしまいます。

 

私も、自分が32歳の時に光太郎が発症して以来彼につきっきりで、心の浮き沈みも激しく、精神状態がギリギリの時もありました。光ちゃんの病気は私のせい、私なんかいらないって死にたくなったこともあります。

 

でも44歳で交通事故にあい、病院のベッドで無傷で目覚めた時、「あぁ生きててよかった」って思ったんです。 その後心療内科で「燃え尽き症候群」だと言われました。「本間さんすごい頑張った。でも光太郎くんのお母さんをいつも演じていなくていい。もっと自由に自分の人生を歩みなさい」って、先生がすごく褒めてくれて。

 

 

それで、10年ぶりに美容院に行きました。キレイになったら、昔、光太郎が発病前、幼稚園の参観日のたびに「お母さん、明日口紅つけてスカート履いてきてね」って言っていたことを思い出したんです。

 

そうか私、毎日おしゃれしてお化粧していたって、ふっと自分自身に返ったんですね。

 

周囲も私の変化に気づき、応援してくれるようになりました。特に家族は一番の応援者で、「いいよ、どんどん行っておいで」って。

 

 

私が元気で生き生きして帰ってくるので光太郎も嬉しいのか、それまでしょっちゅう熱を出していたのに、体調が上向きになっていきました。そこで、すべては自分次第だったと気づいたんです。事故を境に、霧が晴れたようにマインドが外向きになりました。

 

 

特定非営利活動法人ALDの未来を考える会(通称:A-Future)理事長
一般社団法人うさぎのみみ代表理事
本間りえさん

 

 

 

「やっちゃえ!」マインドで

 

――お話を聞いているこちらも元気づけられます。

 

大学で講演すると、学生さんに「なんかよくわかんないけど元気出た」って言われます(笑)。

 

きっと自己開示できているから元気なのかな。ヘルパーさんにも「ママは新庄剛志と重なるよね」って言われました。でもさすがにあそこまでは突き抜けていないよなぁ(笑)。 病気や障害への差別や偏見はまだまだありますし、迷ったり諦めたりすることも多いです。実際死にたかった時期もあったし。

 

でもたぶん命は自分で決めるものじゃない。〝生かされている〞んですね。だから、美味しいものを食べて美味しいお酒を飲んでいろんな人と会って、1回きりの人生をオープンマインドで生きていかなきゃもったいない。

 

 

誰かが「やっちゃえ!」って動き始めないと世の中は変わらない。「うさぎのみみ」が、人と人とのご縁をつなぐパワースポットになればいいなと思っています。

 

 

聞き手・文 八木純子

 

 

 

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