2026年5月20日号 10面 掲載
特養改革までの道のり~コアにある経営観/小田原福祉会 井口理事

このたび施設長として組織経営等をテーマに連載させていただくことになりました。僕は現在、社会保障審議会に関係団体からの推薦ではなく、介護現場で働く一人の個人として参画しています。
今回この連載のお話をいただいたことは、結果として自分自身のこれまでの歩みを振り返る機会になりました。改めて気付いたことは、これまでの人生で経験してきたことが、そのまま現在の仕事に結びつき、結果としてそれらが、僕が国に提案してきた事業モデルにつながったように思います。
留学や教師経験が知見に
小田原福祉会では、人財開発部長として人事や教育改革を抜本的に行い、毎年数千万円の赤字を出すほど厳しい状況にあった潤生園を、数年で再生することができました。そこには、僕自身の介護観と、その介護観を経営上の結果につなげるための独自の考え方がありました。
そこで本連載では、これまでの取り組みを断片的に紹介するのではなく、僕の人生を振り返りながら、その背景にある考え方と実践をお伝えしたいと思います。
まずは生い立ちです。僕は神奈川県秦野市で生まれ、中学2年生のときに単身でカナダに留学し、1年後には家族も移住しました。高校時代はホームステイをしたり、サッカーの師匠の家で住み込みのトレーニングを受けたりするなど、サッカー中心の生活を送りました。18歳で日本に戻り、アルバイトをしながらサッカー選手を目指すも、怪我であきらめざるを得なくなりました。
将来を見失ったとき、祖父が尊敬していた時田純さん(社会福祉法人小田原福祉会 「潤生園」創立者)と出会います。
時田さんから「自分を高める力を子どもたちのために使ってはどうか。小学校の先生になるべきだ」と助言を受け、教師の道を志し、創価大学へ進学、大学院では教育社会学を研究しました。
その後、小学校教諭として働き始めましたが、教師を続けるべきか悩む時期が訪れました。再び時田さんに相談すると、「一緒に介護の道に進まないか」と声をかけていただきました。半年間悩んだ末、教師を辞めて潤生園に入職する決断をしました。周囲からは心配の声も多くありましたが、時田さんの言葉を信じ、人生をかけて挑戦する道を選びました。
入職後、35歳までは一般職員として現場に立ち続けました。失敗や衝突も経験しましたが、仲間とともに信頼関係を築き、入居者のために何ができるのかを考え続けました。30代では資格取得に励み、福祉の専門性を高めました。転機は35歳のときです。職員の教育を担う人財育成センターと、ISO9001取得に向けた品質保証部を兼任することになり、ここから、介護福祉教育と経営マネジメントの道が開かれていきました。(次回に続く)

井口健一郎氏 プロフィール
小学校教諭を経て2009年小田原福祉会に入職。現場で従事したのち、人財開発部長を経て20年に特別養護老人ホーム潤生園の施設長。同施設は24年、内閣総理大臣・厚生労働大臣表彰を受賞。2025年より社会保障審議会福祉部会委員。ぐるんとびー執行役員も務める。










