2026年10月14日号  15面 掲載

認知症でも私のことは私が決める/評:浅川澄一氏

2026年10月18日

宮本礼子/長谷川佑子/山口晴保著 中央公論新社 2035円(税込)

 

 

日本の認知症ケアは介護保険施行後相当に深まった。グループホームが広がり、個別ケアが浸透し、一昨年には地域共生や本人本位の考えを取り込んだ認知症基本法が施行された。それでも、スウェーデンと比べるとまだおかしい。その違いをズバズバ指摘したのが本書である。

 

2人の認知症専門医とスウェーデン在住の看護師の鼎談形式で読みやすい。ケアの現場と制度の双方に精通している非凡な医師たちだ。その豊富な体験談に度々膝を打つ。一貫して患者の側に立つ。日本の過剰ともいえる医療現場、その「欠陥」を次々と縦横無尽に暴いていく。まことに痛快な話し合いだ。

 

冒頭から「認知症は病気でなく老化のひとつ」と医療界の常識に反論、「アリセプトの進行抑制効果はわずか9カ月」など「えっ」と思わせる話が続く。認知症初期集中支援チームや薬の副作用、透析治療、安全確保に偏り過ぎの高齢者施設などネタは尽きない。

 

製薬会社と医師の癒着や精神科病院の政治献金、民間経営が大半の医療機関など日本独特の歪んだ構造にも言及。

 

 

スウェーデンとの違いを浮彫に

 

だが、本丸はスウェーデンにある。「医療より介護重視」など日本と対極を成す。語り手の長谷川佑子さんは2008年に同国に移住。高齢者ケアの専門看護師として現地の「当たり前」を伝えてくれる。

 

両国の違いが鮮明なのは終末期対応だ。「食事制限してまで長生きは御免」「栄養より味にこだわる」「本人が嫌がる治療はしない」「どれだけ長く生きるかより、自分らしく生きることが大切」――。つまり「ほどほどの医療で人生を楽しむ」ということだ。

 

食べられなくなっても経管栄養はせず、延命治療とはほとんど無縁。命が少し短くなっても、緩和ケアを優先させる。

 

なぜこうなったのか。普通の人々の日々の暮らし方が「自己決定、自己責任」だと強調する。その好例が、高齢者施設での利用者の転倒への向き合い方だ。日本では施設職員が責められる。スウェーデンでは「自己責任と仕組みの問題」とされる。楽しい生活にはリスクが伴うのは当然ということでもある。

 

ケアへの取り組みは、その国の国民性次第という面もある。普段の暮らし方がケアに反映される。だが、人権に関わることに国境はないはずだ。

 

評:ジャーナリスト 浅川澄一氏

 

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