2026年8月19日号 36面 掲載
治療の成功を患者の生活から考える 「手術できる」と「手術すべき」は違う/医療法人社団 悠翔会 佐々木淳氏【連載第82回】

「手術できる」と「手術すべき」は違う
いまでも忘れられない患者さんがいる。
90歳を超えて、それでも声の大きい元気なおばあちゃん。健康診断で指摘された軽度の貧血を心配したご家族の要望もあり、内視鏡検査をアレンジしたところ早期胃がんが見つかった。早期の分化がんだが内視鏡手術が難しい部位だった。
「もう歳も歳だし、手術なんてするわけないでしょ。がんが私を殺す前に、たぶん主人が私を呼んでくれるはず」
検査結果の説明を受けてきた彼女はそうあっけらかんと話した。
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<9月16日 第3回 介護経営者カンファレンス [C会場-1]16:00~17:00>
2040年を生き抜く経営/新たな地域医療構想と地域での役割
主催:高齢者住宅新聞 |
病理のタイプをみる限り、少なくとも2-3年でどうこうというがんではない。要介護3の高齢者の5年生存率は40%。胃切除による食事・栄養への影響やQOL低下を考えると、手術をしないという選択は合理的だ。僕も彼女の判断を支持した。
しかし、家族は納得できなかった。病院で手術をする方向で話をまとめてしまった。「母の栄養状態と体力なら十分手術できますよ」と外科医も説明した。本人も家族の説得に応じた。
僕はもやもやとしながらも診療情報提供書を記載して彼女を送り出した。そして、それが彼女と交わした最後の言語的コミュニケーションになった。
3ヵ月後、彼女はやせ細った姿で帰ってきた。四肢は拘縮し、食事はできない。会話もできない。声をかけても目線は合わない。そして2週間後、彼女は自宅で静かに息を引き取った。
高齢者の手術を考えるとき、医療者はまず「手術ができるか」を検討する。
病変は切除可能か、麻酔に耐えられるか、死亡や合併症のリスクはどの程度か。
しかし、医学的に手術が可能であることと、その人にとって手術を受けるのが望ましいことかは必ずしも同じではない。手術で命が延びたとしても、歩けなくなる、認知機能が低下する、自宅に戻れない、家族と会話ができないという結果を本人は望むだろうか。
逆に一定のリスクがあっても不安や体調不良から解放され、家族と過ごし、これまでの生活に戻れる可能性があるなら、高齢や要介護であっても積極的に選択しうるのかもしれない。
米国マサチューセッツ総合病院の周術期外来で、大腸がんの手術が予定されている高齢者を対象とした医療の選択に関する研究が行われている。主に自立から要支援レベルの人がメインだが、約7割が過去1年以内に入院歴あり平均入院回数は2.23。多病かつ入退院を経験してきた術後リスクの高い集団だ。
明らかになったのは「患者は『病気を治すこと』だけを望んでいたのではない」ということだった。
手術に対する期待として、がんを除去する、症状を改善する、再発を避けるなどの医療的なものがもっとも多かった一方、「自立して生活できること」との併記が過半数、4割が「普通の生活に戻ること」、そして13%が「人生の目標を達成すること」と回答していた。
患者が医療に対して望んでいるのは単なる「治療」ではない。自分で歩く、自宅に帰る、仕事や旅行を続ける、孫の成長を見るなど、「生活・人生を取り戻すこと」なのだ。
ここには医療者と患者の間に起こり得る認識のずれが表れている。
医療者は、腫瘍を切除できた、縫合不全がなかった、30日以内に死亡しなかったという医学的アウトカムで手術の成功を評価する。しかし患者にとっての成功は、それだけではない。「日々の暮らしへ戻れるか」が重要なのだ。
在宅患者は、急性期病院に入院すると4人に1人が入院中に死亡し、3人に1人は退院できても、入院前の生活レベルに戻れず歩けない、食べられないまま衰弱する人も少なくない。
一部のケアの現場では「病気はちゃんと治療してもらったほうがいい」という風潮はいまでも根強い。「一応、病院の先生に診てもらいましょう」と受診を誘導し、病名がつけられると、医師の示唆通りに治療が進められる。もし本人の利益を最優先するのであれば、病気=治療すべき、という思考停止は避けたい。
この研究では、患者が恐れているのは「死亡」だけではないことも明らかにされている。
不安の対象としては「手術合併症・痛み・治療の遷延」が74.2%と最も多く、「自立性の喪失」(71.0%)、「医療機器(ストマ)が必要になること」(41.9%)、「主体性の喪失」(38.7%)と続く。
死亡よりも、歩けなくなること、他人に依存すること、施設に入れられること、認知機能が低下すること、自分で決められなくなることなどが具体的に語られている。短期間のリハビリ施設は受け入れられても、施設入所は受け入れられないという人もいた。家族に負担をかけることを恐れる人、自分が担ってきた家族の介護や役割を続けられなくなることを心配する人もいた。
特に要介護またはその手前にある高齢患者が医療に期待しているのは「生きるか死ぬか」というよりも、「自分の生活・人生を回復できるか」ということなのかもしれない。
「あなたにとって最も大切なことは何か」という問いに対しては、身体機能の維持・改善(54.8%)、家族(38.7%)、生命維持治療を制限すること(35.5%)、認知機能を保つこと(29.0%)、命の長さより生活の質を優先すること(25.8%)が挙げられた。
ただし、すべての患者が積極的治療を拒否していたわけではない。患者の多くは、突然の合併症や回復可能な状態であれば、心肺蘇生、人工呼吸、集中治療などを一時的に受けることを
許容していた。一方で「意味のある回復」が期待できないと判断された場合には、長期にわたる生命維持治療を望まなかった。「意味のある回復」という言葉は、一律には定義できない。
ある人には歩けること、別の人にとっては自宅へ戻ること、家族と会話できること、寝たきりにならないこと、他人に全面的に依存しないことだった。
一部の高齢者施設では「蘇生を希望しますか」「人工呼吸器を希望しますか」というチェックリスト型の事前指示書が作られている。しかし、これだけでは本人・家族の真の意向は把握できない。
必要なのは、どの程度回復が見込めるなら治療するのか、どのような状態であれば治療の利益が不利益を上回ると考えるのか、本人にとっての判断基準や優先順位を理解するための対話であるはずだ。
これは高齢者外科における医療判断に関する研究だが、在宅医療においても共通点が大きいと思う。本研究そのものは「臨床倫理研究」として設計されたものではないが、この結果が示しているのは臨床倫理の核心。つまり「治療方針は医学的適応だけでは決められない」ということだ。
臨床倫理では、重要な状況判断において一般に次の四つの側面を考える。
●医学的適応(治療ができるか)
●患者本人の意向(本人は治療を望むか)
●QOL(治療によって(あるいは治療しないことによって)本人の生活の質はどう変化するか)
●家族関係、介護力、生活環境など周囲の状況
高齢者手術では、医学的には実施可能であっても、術後に本人が許容できない生活状態となる可能性がある。逆に年齢や要介護という理由だけで手術を控えれば、本人が望む生活を取り戻す機会を奪うことになる。
重要なのは「積極的に治療するか、治療を控えるか」という二者択一ではない。医学的に得られる利益と治療の負担を示したうえで、それが本人の価値観に見合っているかを検討することだ。これは単なる治療の差し控えの議論とは違う。本人にとって意味のある治療を選ぶためのプロセスだ。
それには「インフォームド・コンセント」だけでは足りない。患者が本当に知りたいのは、自宅へ戻れる可能性、歩行や排泄、食事機能の回復、認知機能低下の危険、治療後に必要になる医療機器の管理、長期リハビリや施設生活の可能性など、自分の生活に直結する情報だ。
しかし現実には、死亡率や合併症率に比べ、機能予後、自宅復帰、認知機能、介護負担についてはやってみないとわからない(十分な予測データを提示できない)ことも多い。
測りやすいアウトカムと、患者が重要と考えるアウトカムが一致しないのだ。
そのような中で、いかに患者にとって最善の選択を支援するか。
まずは「治療の成功」を、患者の言葉で定義し直す必要があるのではないか。
この研究の重要性は、患者が生活の自立、認知機能、家族との関係、普通の暮らしを大切にしているという、ある意味では当然の事実を示したことだけではない。それが、現実の治療選択やアウトカム評価に十分組み込まれていないことを明らかにした点にある。この患者は治療に耐えられるか、だけでは不十分なのだ。
この治療によって、本人が大切にしている生活を取り戻せる可能性があるか。その可能性と引き換えに、本人はどの程度の負担やリスクを受け入れるのか。
現在、ACP(人生会議)も盛んに行われるようになっているが、何かあったら「積極的治療するか」「入院するか」「胃瘻を造るか」など議論する前に、まずはその人にとっての人生の優先順位を理解することから始めたい。

佐々木淳氏 医療法人社団悠翔会(東京都港区) 理事長、診療部長
1998年、筑波大学医学専門学群卒業。 三井記念病院に内科医として勤務。退職後の2006年8月、MRCビルクリニックを開設した。2008年に「悠翔会」に名称を変更し、現在に至る。










